Dec.15.2018
ジッドゥ・クリシュナムルティは,
1895年インド生まれの思想家です
存命されていた間には,
「現代のブッダ」とも称されました
あらゆるものごとが時空間的に
互いの条件付けによって成り立ち,
実体はないとするその考え方は,
原始仏教の「空と縁起」説に
極めて近く,
終生その独自の
真理への道を説かれました
小生が学生時代に
クリシュナムルティを初めて知ったのは,
心理学者・河合隼雄先生の講演会を
拝聴した時でした
河合先生はクリシュナムルティの
真理に対する姿勢は,
私の目指すところでもあり,
彼の著書は座右の書になっています
と仰いました
そのことばに感化され,
クリシュナムルティの本を読みあさった
時期があり,
そのクリスタルクリアな
端的明瞭さは,
当時とてつもなく新鮮でしたし,
今また見返しても,感動を覚えます
本日はこの,クリシュナムルティの
名言のいくつかをご紹介したいと思います
(和文拙訳)
まずは,
目の覚めるような一言からです
Die to everything of yesterday
so that your mind is always fresh,
always young, innocent,
full of vigor and passion.
昨日までのすべてのことに対して
死になさい
そうすればあなたの精神は
常に新鮮で,常に若く無垢で
活力と情熱に溢れます
ガンジーのあのことばを彷彿とさせます
クリシュナムルティの端的明瞭さは,
ずば抜けたものです
ときにはこんなことまで…
Religion is the frozen thought of man
out of which they build temples.
宗教とは,人々が寺院を作り出す
凍った思想のことです
もちろんクリシュナムルティは
純粋な「宗教哲学」や「宗教性」は
貴重だと言っていましたが,
「宗教団体」による
信者のコントロールシステムに関し,
極めて激しく非難していました
というのも…
The constant assertion of belief
is an indication of fear.
絶えず信念を主張することは
恐怖の証です
恐怖の裏返しで強がってしまう…
自他共にとても
身近に感じられる心理現象です
そうした人間の恐怖心に対し,
クリシュナムルティは優しい,
でも鋭い視線を投げかけます
In seeking comfort,
we generally find a quiet corner in life
where there is a minimum of conflict,
and then we are afraid
to step out of that seclusion.
快適さを求めるとき,
私たちは普通人生の中で
紛争が最小限である
静かな場所を見つけます
そしてその隔離されたところから
踏み出すことを恐れるのです
教育について,
クリシュナムルティは次のような
コメントを残しています
There is no end to education.
It is not that you read a book,
pass an examination,
and finish with education.
The whole of life, from the moment
you are born to the moment you die,
is a process of learning.
教育に終わりはありません
教育は本を読んだり,
試験に受かったり,
過程を終了することでもありません
人生全体を通して,
生まれた瞬間から死ぬ瞬間までが,
学びのプロセスなのです
これも先程のガンジーの,
「永遠に生きるかのように学べ」
と全く同じメッセージです
クリシュナムルティは自らも
絵やスケッチをたしなむなど,
美的感性にも優れた方でした
その美学を表すコメントがありました
When you draw or paint a tree,
you do not imitate the tree;
you do not copy it exactly as it is,
which would be
mere photography.
To be free to paint a tree
or a flower or a sunset,
you have to feel
what it conveys to you:
the significance,
the meaning of it.
あなたが木を描くとき,
その木を模倣するのではありません
そのあるがままをコピーすることは
できません
というのもそれでは,
単に写真術だからです
木や花や夕暮れを自由に描くには,
その対象があなたに
何を伝えているのかを
感じなくてはなりません
つまり,その存在意義と意味です
彼にとっての真理,
「宗教性」や「哲学性」は,
こうしたシンプルな自他の一体感
から生まれたものでした
木一つに対しても
果てしなく深い共感を感じること
そこから音楽的真理にもつながる
フレーズを残しています
We never look deeply
into the quality of a tree;
we never really touch it,
feel its solidity, its rough bark,
and hear the sound
that is part of the tree.
Not the sound of wind
through the leaves,
not the breeze of a morning
that flutters the leaves,
but its own sound,
the sound of the trunk
and the silent sound of the roots.
私たちは決して
木の質を深く探ることはしません
決してそれに触れたり,
その丈夫さを感じたり,
その荒々しい雄叫びを感じたり,
その木の一部である音を
聞いたりしません
葉の間を通る風の音でもなく,
葉をはためかせる朝のそよ風でも
ありません
それ自身の音,その幹の音,
そしてその根の静かな音のことです
シンプルな独自の道で,
人々に各人が各人の責任において
真理を探求するべきだ
と述べて去っていった,
「現代のブッダ」
クリシュナムルティの思いは
いつ何時見ても,
新鮮な驚きと刺激を受けるもの
ばかりです
In oneself lies the whole world and
if you know how to look and learn,
the door is there and the key is
in your hand. Nobody on earth
can give you either the key
or the door to open,
except yourself.
一人の人の中に
全世界があります
そしてもしものの見方や学び方を
知れば,
ドアは開いていて,
鍵はあなたの手の中にあります
あなた自身以外
開けるべきドアや鍵を
与えられる人はに他にいません
それでは,このへんで