tsuputon's blog

英語の名言をベースに, 哲学から医学・薬学に至る雑学を, ゆるまじめにご紹介していきます

英語で名言を: 風景は心の鏡である。(東山魁夷)

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                                          May 20. 2019

 

 

東山魁夷画伯は,1908年

横浜市生まれの日本画家です

 

1931年に

東京美術学校(現東京藝術大学)を卒業,

1933年にはドイツのベルリン大学

留学しました

 

戦後数々の賞を受賞し,

1968年には皇居宮殿の壁画を担当,

1969年には文化勲章を授与されました

 

瀬戸大橋の色を

提案されたことでも知られています

 

極私的印象では,

日本画家として最もシンプルに

日本仏教哲学を美的に体現した画家,

です

 

代表作などにご興味があれば,

こちらをご覧ください↓

www.kyuhaku.jp

 

本日はこの,東山魁夷画伯の

名言のいくつかをご紹介したいと思います

(英文拙訳)

東山魁夷 - Wikipedia

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千葉県市川市にある東山魁夷記念館

 

まずは,

画伯の不屈の精神が伺える

コメントからです

 

不遇の時代が長いほど、

自分の中に蓄積されるものは大きい。

The longer your unfortunate period is,

the bigger  you accumulate within you.

 

忍耐と自信が

人間に与えられている最高の能力である

 

ダライラマ14世はよく仰られます

 

 画伯の修行時代も,

若い頃から順風満帆だった

はずはありません

 

不遇の時代にこそ,

蓄積されているものがあると

心底思えるなら,

それこそ真のポジティブ思考でしょう

 

数々の紆余曲折があってこそ,

画伯の中に

謙虚な心が育まれていったのでしょう

 

私は生かされている。

野の草と同じである。

路傍の小石とも同じである。

It lets me live,

like the weed in the field;

also the pebble on the sidewalk.

 

生きているのではなく,

生かされているのだという実感

 

これは仏教でもキリスト教でも,

同じく強調されるポイントです

 

宗教によらずとも,

冷静に考えてみますと,

私という存在は空気や水,

食べ物といった他者そのものを,

単に「体」という皮膚の中に

収めただけのものです

 

身体と環境が相互交流している現象,

それが私にすぎません

 

見方を他律的にするならば,

宇宙が私の体を通過しているのです

無際限の宇宙地図の一住所としてのみ,

私はあります

 

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画伯は風景画の世界的泰斗として

知られています

そうした画伯にとって,

風景とは何だったのでしょうか

  

私は画家であり、

風景を心に深く感得するのには、

どこまでも私自身の風景観を

掘り下げるより道はないのである。

I’m an artist, and to feel

the scenery deeply in my heart,

there is no choice but to deepen

my view of her forever.

 

つまり…

 

風景は心の鏡である。

The scenery is the mirror of oneheart.

 

嫌なことがあれば,

目の前が「真っ暗」になります

逆に,幸せなことがあれば

「人生はバラ色」になります

 

端的極まりない画伯のコメントに

異論を唱えられる人はいないでしょう

 

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仏教哲学では,

今から2000年以上前の初期の頃から,

 

世界は汝の心のあらわれである

 

とする,唯識論があります

 

どのような状況にあるのであれ,

それは自分自身の心のうつし…

 

いいことがあった時には

是非信じたいですが,

逆の場合には何とも痛いことばです

 

画伯のこの唯識的視座は,

もはや個人としての画伯を超え,

集合レベルの国民にまで及ぶものでした

 

その国の風景は

その国民の心を象徴する。

The scenery of the country

represents the heart of the people.

 

今現在の我が国の風景は…

 

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瀬戸大橋

 

画伯の内省は

単にことばのレベルのものではなく,

画業も含めた生活全てにおける,

指導原理にまで達していました

 

私にとって絵を描くということは、

誠実に生きたいと願う

心の祈りであろう。

謙虚であれ、素朴であれ、

独善と偏執を棄てよ、

と心の泉はいう。

To me, painting may be

the prayer of my heart

that hopes to live sincerely;

the spring of my heart tells me

to be modest, simple,

and throw away

my self-righteousness and paranoia.

 

絵を描くことは画伯にとっては

もはや仏教僧の瞑想に

酷似したものだったのでしょう

 

瞑想することによって,

お坊さんたちは

宇宙を成り立たせている原理を

全身全霊で直感することを目指します

 

画伯にとって風景は,

まさしく現前に広がる宇宙であり,

自己そのものでもある,

という確信があったのでは

ないでしょうか

 

特に「心の泉」という表現自体に,

すでに風景が画伯の内に

宿っていることがわかります

もはや自己と環境,

主体と客体の二項対立は

解消されているのです

 

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だからこそ,

 

普通の風景も、

心が純粋になれば生命にあふれる。

Even a plain scenery can be filled

with life, if your heart becomes pure.

 

心=風景なのなら,

心の純粋さは風景の純粋さであり,

普段「汚れた」心で見ている普通の風景,

通勤通学の道や,

ひいては家の中のインテリアでさえ,

いのちが溢れるものとうる

 

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とは言え,ものごとは変化します

 

数え切れないほどあると言われます,

大乗仏教諸宗派が唯一共通に

根本であると認めます般若心経の

「色即是空、空即是色」,

つまり

「ものに実体はなく,

    実体がないのがものである」

という点をも,

画伯ははっきりと自覚されています

 

無常と流転。

流転とは生きているということ。

Transience and flux.

Flux means living.

 

モノ・カネ・時間に

四方八方がんじがらめに

されてしまいかねない現代日本

資本主義社会にあって,

画伯の,純粋無垢をひたすら

志向した祈りの果実としての

作品を鑑賞できるしあわせは,

それこそ,

時間にもお金にもかえがたい何かです

 

それでは,このへんで

ごきげんよう

 

 

 

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