tsuputon's blog

英語の名言をベースに, 哲学から医学・薬学に至る雑学を, ゆるまじめにご紹介していきます

英語で名言を:本質を見ることこそが直観である(フッサール)

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Vasily Kandinsky:Kleine Welten I(Small Worlds I)

       

                                              July.5.2018

 

 

エトムント・フッサールは,

1859年オーストリア生まれの

哲学者・数学者です

 

現象学」構築し20世紀の哲学,数学,

科学,政治,芸術など,様々な領域に

多大な影響を及ぼしました

 

哲学者がハイデガーサルトル

メルロー=ポンティらはフッサール

後継者と言われています

 

現象学とは「事象そのものへ」

をスローガンとし,

どんな前提や先入観,

目に見えない形而上学的独断にも

とらわれることなく,

事象そのものを自ら把握して,

記述する方法論です

 

身近な例で言いますと…

食べたことのないお料理を,

食べログの前評判など気にせずに

何の予想もせずに,

自分の直観のみを信じ

とにかく食べてみて,

確かめようとする,

すっきりした精神です

  

とりわけ数学による記号化の科学的世界で

隠蔽されてしまう「生活世界」における

直観の回復が,

ものごとの本質を知るカギとなる,

という主張です

 

その時最も必要な精神的態度として,

フッサールが取り上げたのが,

感情・判断の停止を意味します

「エボケー」でした

tsuputon7.hatenablog.com

 

本日はこの,フッサール

名言のいくつかをご紹介したいと思います

和文拙訳)

エトムント・フッサール - Wikipedia参照

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 Vasily Kandinsky:Kleine Welten II (Small Worlds II)

  

 

 まずはフッサールによる

「純粋現象学」の定義です

 

To begin with, we put the proposition:

pure phenomenology is

the science of pure consciousness.

まず初めに,私たちは提案する

純粋現象学は純粋意識の科学である

ここで言う「純粋」とは,

「直観」と捉えても良いものと思われます

ガリレオ・ガリレイ以来の科学の方法論を

根本的に疑い,

「生活世界」の復活も視野に入れた上で,

フッサールは「純粋」と言っているのです

 

続きまして,

対象と現象についてのコメントです

 

Within this widest concept of object,

and specifically within the concept

of individual object,

Objects and phenomena stand

in contrast with each other.

対象についての最も広い概念の中では,

そして特に個々の対象についての

概念の中では,

対象と現象は互いに対立しあう

「もの」と「こと」の関係です

 

通常の社会生活をする中では,

私たちは目の前にある様々な物体や人,

つまり対象を,あたかも

客観的に存在するかのように

考えて振る舞います

 

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Vasily Kandinky:  Kline Welten III (Small Worlds III)

 

 

ですが,実はその一つ一つに

私たち自身の「解釈」が含まれます

「この色が好きだ」

「あの人はいい感じだ」

と思っただけでも,

既にその対象そのものとは

かけ離れてしまっています

そこには私たち自身の生活感覚から来る

「直観」や「主観」が必ず入っていて,

対象と自分との間で発生している

「現象」のみがそこにある,

フッサールは考えるのです

 

では,フッサールの言う「直観」とは… 

 

At the lowest cognitive level,

they are processes of experiencing,

or, to speak more generally,

processes of intuiting

that grasp the object in the original.

最も低い認識レベルにおいて,

それらは経験のプロセスである

つまりもっと一般化して言えば,

対象をもともとの姿で把捉する

直観のプロセスである

 

「最も低い認識レベル」とは,

ものそのものを限りなく自分の感覚で

捉えようとすることです

 20世紀最大の哲学者とも称されます

ウィットゲンシュタインが,

「考えるな,見よ!」と言った精神です

 

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Vasily Kandinsky: Kleine Welten Ⅳ (Small Worlds Ⅳ)

 

 

フッサールは,

現象学をする精神的態度について,

自然との関係で次のように述べています

 

Natural objects, for example,

must be experienced before

any theorizing about them can occur.

例えば,自然界の対象は

どんなそれらの理論化がなされるよりも

前に経験されなければならない

「学問」といいますと理論化と思われますが,

フッサールはその理論が成立する以前に,

まず自分自身でその対象と直に向き合い,

あらゆる先入観を排除しエポケーして,

自らが経験しなければならないと言います

 

そしてその時の経験が,

主体としての自分と客体としての対象との

間で生まれる「現象」であって,

それこそが存在する唯一のものである,

と考えたのです

 

The actuality of all of material Nature

is therefore kept out of action

and that of all corporeality along with it,

including the actuality of my body,

the body of the cognizing subject.

物質的自然の現実はそれ故,

私の体,

認識する主体としての身体の現実を含み,

行動と行動に伴うすべての身体性を伴う

行動の外にある

 

このように考えましたので,

フッサールは旧来の哲学者たちを

次のように厳しく批判しました

 

Philosophers, as things now stand,

are all too fond of offering criticism

from on high instead of studying

and understanding things from within.

哲学者たちは今現在の現状では,

高みからの批判を提出することを

あまりにも好み,

ものごとの内にあるものを

研究し理解しない

 

お料理の世界で言いますと,

目の前に立派なご馳走を出されたのに,

食べる前にうんちくを垂れ,

歴史まで語っちゃって,

一口も味わわないのでディナーを

すっかり冷ましてダメにしてしまう

「重鎮」方に対する痛烈な皮肉です… 

 

 

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Vasily Kandinsky:Kleine Welten Ⅴ(Small Worlds Ⅴ)

 

 

フッサールの仕事は,

ものごとの観察における意識のあり方を

究極的にシンプルに,

「直観」を信じて臨むよう

促すことだったと言っても

過言ではありません

 

スティーブ・ジョブズのことばが

思い出されます

「直感」と「直観」の違いがありますが…

 

    自分の心と直感に従う勇気を持ちなさい

    それらはどういうわけか

    あなたが本当になりたいものを

    すでに知っている

    それ以外のことはすべて二番煎じだ

 

tsuputon7.hatenablog.com

 

フッサールは言います

 

If all consciousness is subject

to essential laws in a manner

similar to that in which spatial reality is

subject to mathematical laws,

then these essential laws will be

of most fertile significance

in investigating facts of the conscious life

of human and brute animals.

もしあらゆる意識が

数学の法則に空間的現実が従うように

本質の法則に従うのであれば,

その時にはこれらの本質の法則は

人間と野獣の意識的な生活の事実を

調査する際に,その重要度は

最も取るに足らないものとなるだろう

つまりフッサール

「数学以前」の直観を信じよ,

と言うのです

最も俗な表現をお許しいただければ,

 

つべこべ言わずに食べなよ! 

 

ということになります… 

 

...genuine science

and its own genuine freedom from prejudice

require, as the foundation of all proofs,

immediately valid judgments

which derive their validity

from originally presentive intuitions...

純粋科学と

それ自身の偏見からの純粋な自由が

必要とするものは,あらゆる証明の基礎として,

それらの正当性を元来の現存する直観から

引き出す即座にに正当な判断である

 

こうしたフッサールの様々な思考は,

端的にものごとの本質を

探るためのものでした

 

Seeing an essence is therefore intuition.

それ故,本質を見ることこそが直観である

 

それでは,このへんで

ごきげんよう

 

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Vasily Kandinsky:Kleine Welten Ⅵ (Small Worlds Ⅵ)