April.20.2018
アンディ・ウォーホルは,1928年
アメリカ生まれの芸術家です
ポップアートの先駆者と言われます
イラストレーションからメディアアート製作に転向し,
一躍脚光浴びました
日本でも横尾忠則さんなど
数々のモダンアーティストたちに
多大なる影響与えました
当時誰もやったことがなかった
メディアを使った独特の画風は,
現在でも「比類なき」作品と称されます
1962年には,すでにコピー文化を予見する
このような作品も出されていました
ポップアートの始まりの作品とされます
キャンベルのスープ缶
ビビッドな色彩で大量生産可能な
シルクスクリーンの技法を多く使い,
スターのイメージ・商品・ドル記号など
アメリカ社会に当時蔓延していました,
軽薄なシンボルを作品としました
それはまた,アメリカ資本主義と大衆文化の持つ
大量消費・非人間性・陳腐さ・空虚感を
表現しているとも解釈されました
僕を知りたければ作品の表面だけを見てください
裏側には何もありません
と発言し,
芸術家として「内面」を持たず,
徹底的に「表面的」存在であり続けようとしました
本日はこの,50年も前に現代の私たちの社会を
予見していたかのような作品を連発した,
アンディー・ウォーホルの名言のいくつかを
ご紹介したいとおもいます
まずは,「人生」についての
アーティスティックなコメントです
Isn’t life a series of images that change
as they repeat themselves?
人生って、繰り返し見る度に変化していく
映像のようなものじゃないかい?
この発言はアンディの作品に通底する
美学を物語っている気がします
当時はテレビ文化が台頭し始め,
日常生活の中に「映像」が浸透し始めた頃でした
そうした時にアンディは,
いち早く人々のものごとに対する認識方法も
「テレビ的」なものになるだろうと考え,
それを示唆する作品を描いたのです
彼の作品の色使いは,初期のカラーテレビの
単純色だけしか投影できなかったテクノロジーを
反映しています
続きまして,
「ものごとを見すぎること」に対する警告です
I’m afraid that if you look at a thing long enough,
it loses all of its meaning.
ものごとを見すぎることで、それが持つ意味が
まったく見えなくなることを僕は怖れる。
メディアアートという
新たな分野を切り開く存在として,
テレビが普及する以前には考えられなかったような
情報量に対し,
心境を素朴に表したコメントだと思われます
テレビが家庭に普及する以前の世界は,
ものごとをよく観察するのは
当たり前だったかもしれません
ですが,次々と画面が変化し,広告なども
断片的なものが溢れかえる中,アンディは
「それが持つ意味」はじっと見るに値しない,
かりそめのものだということに
いち早く気づいていたのです
3次元の世界に「時間」という 4次元要素が
急激に流入してきたことを
こう語ったとも考えられます
アンディーはモダンアートの先駆者でしたから,
当然のごとく風当たりも強いものでした
ですが,本人はそれを楽しむかのごとく,
軽やかでした
I don’t see anything wrong with being alone,
it feels great to me.
孤立することが悪いなんてちっとも思わない。
僕にとっては素敵な気分さ。
例えば,現代のコピー機の先駆けである
「ゼロックス」が普及し出し,
「コピー」することが人々にとって
日常化し始めた頃には…
But why should I be original?
Why can’t I be non-original?
でもなんでオリジナルじゃないといけないのだろう?
他の人と同じで何がいけないんだろう?
自分自身が積極的に資本主義社会の消費文化の
一商品の「気分」になり切ることで,逆説的に
当時の人々のアイデンティティーに対する,
根源的な問いを投げかけたものだったと思われます
これは現代日本にも通じる話かもしれませんが,
「オリジナルでなければならない」という考え方を
強迫観念としてみんなが一様に持ってしまうと,
実はそれは誰しもが考える「もっとも普通」なことに
なってしまっている…
ミイラ取りがミイラになってしまっている事態です
こうした警告を発していましたアンディは,
孤立する中でも全て自己責任において,
前人未到の境地を切り開いて行きました
They always say that time changes things,
but you actually have to change them yourself.
時がものごとを変えるって人はいつも言うけれど、
実際は自分で変えなくちゃいけないんだ。
当時,アンディの衝撃発言として
よく知られていました名言があります
未来には、誰でも
15分間は世界的な有名人になれるだろう
1968年に
「未来にはだれでも15分間は
世界的な有名人になれるだろう」
と発言していたのを,
70年代末にこう言い換えたのです
それから 50年後の2018年の今の
さらにこんなことまで…
Don’t pay any attention to
what they write about you.
Just measure it in inches.
自分について何か書かれていても、
その内容は気にしちゃいけない。
ただインチ単位でその量を測ればいいんだ。
これは裏をかえしますと,
「炎上」するならどんなことでも書いていい
とする今時の人々のことを,
ドンピシャで言い当てている
至言ではないでしょうか!
超大国の大統領も含め…
現代のSNS文化は,
発信されたり発信したりする情報内容というよりは,
その情報量が評価される事態が起こっています
また,ショッキングな内容であればあるほど,
人々は見たくなる,つまり情報=刺激に過ぎない,
というメディアの本質を,
当時のテレビ文化のただ中で,
アンディは敏感に感じ取っていたのです
アンディ自身の美学は
シンプル極まりないものでした
I’ve never met a person I couldn’t call a beauty.
美しくない人なんて、僕は出会ったことがない。
なんとすばらしい!
世界はあなたの心の表れである
アンディはやはり,
心が美しい人だったということになります
そして,あえて「表面的」アイデンティティの確立を
標榜した背景にあった思いは…
Think rich, look poor.
考えは豊かに、見た目は質素に。
さらに,
「死」についてさえも「軽快」さを隠しませんでした
I never think that people die.
They just go to department stores.
人が死ぬなんて思えない。
ちょっとデパートに行くだけだ。
何かをとてつもなく達観していたとしか思いません
もはや,芸術家を超えて,哲学者・宗教家の域にまで
その思想は自己展開していたようです
当時のアメリカ社会そのものを
全身全霊で「体現」することにより,
そこに含まれる可能性と問題点全てを表そうとした,
アンディー・ウォーホル
彼の目指した「表面的」であることそのものは,
きっとつまらないことだったに違いありません
ですが,そうしたことすらも,アンディにかかると
軽やかにこうコメントされています
I like boring things.
退屈なことが好きなんだ。
「退屈力」不足が喧伝される今日,
現代社会で目の当たりにしています諸現象を
アンディの目線を借りて改めて見てみて,
新鮮に気づかされることの多さに驚嘆致しました
それでは,このへんで