意味がありそうな階段
March.13.2018
赤瀬川源平さんは,1937年神奈川県生まれの
前衛芸術家です
尾辻克彦という純文学作家名もお持ちで,
1981年には芥川賞を受賞されています
1970年に千円札を肉筆で200倍に拡大した
作品「復讐の形態学」が
通過及証券模造取締法違反に問われ,
美術界の重鎮方の弁護も虚しく,
執行猶予付き有罪判決を受けてからは,
前衛芸術にはあまり関わらなくなられました
小生は学生時代に赤瀬川さんの
衝撃を受けました
主に建物を写した写真集なのですが,
とにかくシュールかつコミカルで
「くすっ」とし続けられる画像の
オンパレードです
トマソンの定義は,次の通りです
不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。
本日はこの,高度経済成長期にあって,
実にクリエイティブな
発想でこの「超芸術」に至られた,
奇才・赤瀬川源平さんの名言を,
トマソン画像と共にご紹介したいと思います
(英文拙訳)
細い人専用ドア
まずは,赤瀬川さんの幼少期の思い出からです
子どものころから,四角形に対する
漠然とした疑問はありましたね
I’ve had a vague question about the square
since I was a child.
ただならぬセンスです
気持ちは分からなくはないです…
四角は社会のシンボルです
用途が不明な建造物
赤瀬川さん,
シャッターチャンスはどんな感じで…
被写体に最初に出会った時の写真が
一番良いんですね
うまく撮ろうとたくらんだ写真は、
素直な力がなくなる
The photo I took when I saw the object first
is the best;
the one I tried to take well
loses the honest power.
あるあるなポイントです
その心は?
人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね
だから,すべてのものを何かの思い入れを持って
見ているんですね
なので,その時々によって違って見えてくることが
あるんでしょうね
We humans are shaking, different from computers;
so, we see everything with some consideration.
Therefore, we sometimes see
the same thing differently.
昭和期に,すでにここまで達観されておられたのです
どうやって入るか分からない扉
では,トマソンの魅力とは?
普通,表現の仕事であれば
作者というものがいますよね
しかし,トマソンには作者というものが
いないんです,
そこがむしろ面白くて,
だから「偶然」とか「出会い」ってことが
一番不思議なことに思えてくるんですよね
Usually, as for the works of expression,
there are artists;
however, Thomason has no artist.
It’s rather interesting,
and we get to feel ‘coincidences’ or ‘encounters’
the most mysterious.
いわば社会の集合無意識が時間をかけて
作り上げたものがトマソンですから,
作者はいないのですね…
難易度が高すぎる階段
これらのトマソンに一貫した赤瀬川さんの視点は,
「意味」の次元を超えたものを見つめていました
イエスとノーのあいだに真実が息づいている
There is a living truth between Yes and No.
「無意味は存在の肌触り」という
鶴見俊輔さんのことばが思い浮かびます
真実は二元論に回収されえないのです
全く意味のないトンネル
赤瀬川さんは「偶然」に強く
フォーカスされておられました
この世は偶然に満ちている
だから人間は人工管理の街を造った
This world is full of coincidences;
so, we have made cities under artificial control.
そして,老朽化の末漏れ出したのが
トマソンだと仰ります
ジャッキー・チェンしか使えないベランダ
では,赤瀬川さんにとって面白いものとは?
自分にとっていちばん面白いのは,
思いもしないものに出会うことだ
自分の思いを超えたものにめぐり合うことである
The most interesting thing for me is
encountering unexpected things,
running into something beyond me.
どうしてですか?
何故それが面白いかといえば、
そのことで自分が広がっていく
快感があるからである
This is because,
by that, I can get the pleasure
to make myself larger.
無意識が意識に浮上して,
自己が拡大するのです
室戸岬の廃業したホテル
偶然の発見が,
人工物に覆われた都市でも充溢している
無意識に気づかせてくれます
偶然というのは、
本当はこの世の中を無数に満たしている
事柄なのかもしれない。
世の中はむしろ無限の偶然で
成り立っている
In reality, coincidences may be those
that fill this world
in innumerable ways.
The world is rather made up of
innumerable coincidences.
電柱なのか木なのか
自然界は偶然に逆らうことなく
あるがままにそれらを受け入れ,
なりゆきます
犬や猫は偶然など
当たり前のこととして,
偶然の海をゆったりと泳いでいる
のではないだろうか
I‘m afraid
dogs and cats take coincidences for granted
and are swimming across the ocean
of coincidences slowly.
偶然の海
なんと正直な観察結果でしょう…
悟りを開いた方ならともかく,
凡人には物事の因果関係すべてが
把握して説明しうる必然ではありません
赤瀬川さんはこれだけ奇異な,
他の人が全く思いつかなかったことを
実践できた方にも関わらず,
犬や猫の様にゆったりと
現実=偶然の海を泳ぎ渡りたいと
切望されておられるかの様です
全くの小生の個人的解釈ですが,
赤瀬川さんのこうした
「偶然」を積極的に価値づける
意識の背景にあったのは,
意味の次元を超えて,名前すらつける必要もない,
純粋な心が発光し自ら照らし出した,
出会ったものへの無条件の愛だったと思います
それでは,このへんで