ウィリアム・ブレイク『経験の歌』表紙
June.8.2018
ウィリアム・ブレイクは,1757年,
イギリス・ロンドン生まれの
詩人・画家・銅版画職人です
現在のイングランド国歌とされます
『エルサレム』の作詞者です
シェークスピアと並び称される詩人で,
英語圏最高の幻想詩人とも言われます
多大な影響を与えました
ブレイクが残しました詩の美しさは,
「大きいことも小さいこともない」とする,
繊細の精神に貫かれている所にあると思います
本日はこの,
ウィリアム・ブレイクの名言のいくつかを,
彼の代表的詩集『無垢と経験の歌』の挿絵と共に
ご紹介したいと思います
(和文拙訳)
まずは,ブレイクの宇宙観がうかがえる
フレーズからです
To see a world in a grain of sand
and heaven in a wild flower
Hold infinity in the palm of your hand
and eternity in an hour.
一粒の砂の中に世界を見るために,
一輪の野花に天国を見るために,
あなたの掌に無限を握りしめ
ひとときのうちに永遠を握りしめなさい
小宇宙の中に大宇宙を,
ミクロコスモスにマクロコスモスを見るには,
極めて細やかでかそけき意識が必要です
そのためには,
「掌に無限を」「ひとときのうちに永遠を」
つまり,空間的にも時間的にも
小さなものの中に大きなものを
見ようとする意志を持つことが必要だ
とブレイクは言います
真の優しさとはこのことかも知れません
アダムを裁く神
続きまして,善と芸術・科学の関係についてです
He who would do good to another must do it
in Minute Particulars:
general Good is the plea of the scoundrel,
hypocrite, and flatterer,
for Art and Science cannot exist
but in minutely organized Particulars.
他者に善いことをなそうとする人は
微に入り細をうがってそうしなくてはいけない
まんべんない善は悪党,
偽善者,そしておべっか使いの嘆願するものだ
というのも,芸術と科学は
微に入り組織された細部以外に存在できないからだ
善は微に入り細に入りなされなければならない
なぜなら,微細なものにも気を配る優しさに
基づくものだからです
そうした意味で,
ブレイクの言う善は特殊な対象に限定されます
まんべんなくあらゆるものに
善をなそうとするのは,間違いの人々だと…
そして芸術と科学は
そうした特殊に対する善そのものだと言うのです
『無垢の歌』表紙
ただし,ブレイクは芸術と科学の違いを,
鮮烈な言葉で表現していました
Art is the tree of life.
Science is the tree of death.
芸術は生の樹であり,
科学は死の樹である
ここでブレイクが言わんとしていますことは,
芸術は動的流動物であり,
科学は静的固定物である
ということだと思われます
ソフトとハード,生命とインフラ,
とイメージしてもいい二項対立でしょう
ブレイクにとって,
芸術は科学に先んじるものでした
つまり,
美によって科学も牽引されなくてはならない,
と考えていたのです
Art can never exist
without naked beauty displayed.
芸術はむき出しの美が示されない限り
存在し得ない
Exuberance is beauty.
はちきれんばかりの力こそ,美だ
『無垢と経験の歌』虎
ブレイクは「想像」にまつわることばを
数多く残しています
Imagination is the real and eternal world
of which this vegetable universe is
but a faint shadow.
想像世界はこの木々の生い茂る世界が
その色あせた影でしかないような
現実で永遠の世界である
想像力は宇宙を覆う
と言いました
その果てしなさは,
現実世界として私たちが認識可能な領域を
遥かに凌駕している,と
ブレイクも現実世界と想像世界という対比により,
科学と芸術それぞれの対象世界を表していました
心理学的に言いますと,
意識と無意識と言いうるものです
ブレイクはこれら双方の世界を
自在に往き来していたとしか思えません
You never know what is enough
unless you know what is more than enough.
十分以上のものを知らないならば,
十分とは何かなど,分かるはずはない
ここで,
「十分以上のもの」=無意識/想像世界/芸術,
「十分」=意識/現実世界/科学,
と置き換えますと,
無意識を知らないならば,
意識など分かるはずがない
想像世界を知らないならば,
現実世界など分かるはずがない
芸術を知らないならば,
科学など分かるはずがない
とパラフレーズできます
もっとも,これは小生なりの
「想像世界」でしかありませんが…
『無垢の歌』序文
このようなイメージを
ブレイクが持っていたのだとしますと,
次のことばは腑に落ちやすいです
What is now proved was
once only imagined.
今証明されることは
かつてはただ想像されるだけのものだった
そして想像によってのみ,
私たちは「無限」に憧れることができます
If the doors of perception were cleansed
everything would appear to man as it is, infinite.
もし知覚の扉が浄化されたら,
あらゆるものが人にとってあるがままに,
無限なものに見えるだろう
小生などは,気づけば
有限の中のさらに有限な世界の出来事に
くよくよしたり,考えあぐねたり,
袋小路に入ったりしてばかりいます
ですが,結果的にそうした悩みが解決するのは,
どこかで小さくても扉がパァーッと開いた瞬間,
無限への通路が開通した瞬間です
仏教でいう六根清浄,
眼耳鼻舌身意が何らか浄化されて初めて,
問題解決の糸口が見えます
※全くの脱線ですが,つい最近知ったのですが,
「どっこいしょ」の語源は「六根清浄」だそうです!
『無垢と経験の歌』天使
ただし,ブレイクの立場は
自分の力も他者の力も両方頼るべきとする,
「自他力本願」でした
No bird soars too high
if he soars with his own wings.
どんな鳥も自身の羽根だけで飛び上がっても,
余り高くは舞い上がれない
風という自然力の助け無くしては,
どれほど一所懸命羽ばたいたとしても,
鳥が達しうる高みも限られたものとなります
自分も精一杯の努力をした上で,
そうした他者の手助けを有り難く頂戴する姿勢は,
自分もその他者をも幸せにします
The thankful receiver bears a plentiful harvest.
感謝して受け取る人はたくさんの収穫を得る
そしてブレイクにとっての究極の収穫は…
Lives in eternity's sun rise.
永遠の日の出の中での生活
永遠の歓喜に包まれる永遠の子ども
美という太陽の沈まない世界への憧憬です
それでは,このへんで
『無垢と経験の歌』羊