Nov.10.2017
坂本龍一氏が, とある雑誌のインタビューで,
レストランの味の半分は店員の態度が決める
と仰っていました
全くその通りだと思います
どんな名の通ったお店であれ,
ぶっきらばうに, 忙がしそうに,
ガチャン! とお皿を置かれたら,
その一瞬で出ていきたくなります
ましてや
坂本氏ほどの感性の持ち主であれば,
なおさら, 料理そのものだけではなく,
レストランという場とスタッフすべてが
ピアノのようにハーモニーを奏でるべきもの
と,
素で思われてしまうのでしょう
坂本氏はまた別の所で,
ポエジー(詩性)のないものは芸術じゃない
とも仰っていました
私たちの感情を揺るがし,
感動を生み出す何かでなければ,
芸術作品としての存在価値はない, と
「芸術は狂気の発動である」
と言われますが, これは小生の持論でもあります
メチャクチャやればいい, という意味ではありません
狂気=日常性の破壊=無意識の顕れ
そういう意味で, 内的革命をもたらしてくれる契機
だと思うのです
日常性に100%満足していますと,愚鈍なままです
誰しも変化を求め, 刺激を求め, 斬新さを求めます
そのきっかけを私たちに
提示し, 共有し, 共感させてくれるのが
芸術家であり
本人が意図しようとしまいと,
それに触れた人がその瞬間,
何か大きく変わらざるを得ない作品,
それが傑作, と言われるのでしょう
芸術論にも多種多様なものがあります
「どの芸術分野が最も純粋か」とか
ある意味, 詩というのは
人間の精神構造の中核をなす言語によって
私たちのアイデンティティに直接作用するべく
理性と感性を総動員させて
詩人が美を結晶化しようとした営みの跡ですから
最も純粋と言われます
素材も「ことば」ですので
最も当たり前でありきたり,
でも,そこから最もありえない美を志向する
つまり, 途轍もなくコスパが良いわけです
とは言え, 何も芸術は崇高なもので
一部の趣味人にしか通じない難解なもの, などという
俗物根性(snobbery)をかざす気は毛頭ありません
真の気品は子どもでも分かる普遍的善だと思います
そうしたシンプルかつこちらを揺さぶってくる何か,
抗いがたくやってくるけれど,
最終的には途方もなくやさしい何か,
芸術はそうあるべきではないでしょうか
よく考えますと
日本の高齢者の方々も好んで演歌を覚え歌い
カラオケやアカペラで
周りの人々と共感・一体化するわけですから,
作詞家のメッセージを全身で迫体験するという点で
歌っている間は詩人です
老いも若きも男も女も
私たちのだれしもが, 日常的に
詩というミ―ム(文化的遺伝子)に使われているのです
以前, 小生の腐れ縁の友人のお話しをさせて頂きました↓
彼がインドで, とある聖者様に会いに行き,
自分の詩を英訳したものを読んでもらい,
そのコメント次第ではその方に弟子入りしようと
意気込んで面会した時のこと
(確か出だしが「宇宙に花は一つしかなくて…」で…)
無表情に高座におわします聖者様に
最敬礼しつつ, うやうやしく
その詩を書いた一枚の紙をお見せしたところ,
2~3分かけて読んで下さり,
Mが「これは, つかめた!」と思った瞬間に,
聖者様はゆっくりと紙を返しながら, やや微笑みつつ,
インド訛りの英語で, こう仰ったそうです
Evevyone has some ridiculous time to be a poet.
誰でも詩人になるくらい馬鹿な時がある
意気消沈して帰国したMに, 小生は
英国の史上最高の幻想詩人と言われる
ウイリアム・ブレイクの詩集を本棚から取り出し
渡しましたら, そのままMは持って帰り
20年以上経った今も返してくれていません
ちなみに, 以下は
ブレイクの小生お気に入りのワンフレーズです
If the sun and moon should ever doubt,
they'd immediately go out.
万が一太陽も月も自分を疑ったとしたら
その瞬間に光を失うだろう
それでは, このへんで