tsuputon's blog

英語の名言をベースに, 哲学から医学・薬学に至る雑学を, ゆるまじめにご紹介していきます

英語の名言:戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つものこそ、じつに最上の勝利者である。(ブッダ)

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                                                    May.24.2018

 

 

ガウタマ・シッダールタは,

サンスクリット語の尊称でブッダ(めざめた方)

と称されますが,

生年につきましては世界中の仏教学者が

様々な説を出していまして,

100年以上の開きがあったりと,

未だ確定していません

 

世界的仏教学の泰斗,中村元博士は,

紀元前463年と推定されておられます

つまり,今から2500年ほど前に,

現在のネパールのルンビニ

生まれたとされています

 

中村博士がよく語っておられたことで,

現在の仏教学界では定説化しているのですが,

原始仏教は現在の中国・韓国・日本の仏教とは

教えも組織も相当違っていたものでした

 

例えば,原始仏教では

そもそもブッダは「教団」を作る意志は全くなかった,

つまりお寺など作るつもりはなかったとされています

 

悟りは極めて個人的体験であり,

社会的なものではない

 

その考え方に近いことは,

ダライラマ14世が時折言及されることでもあります

tsuputon7.hatenablog.com

 

本日は原始仏典に残されています

ブッダの美的感性溢れる名言のいくつかを,

中村元博士訳

ブッダの 真理のことば   感興のことば』

岩波文庫

から,御紹介したいと思います

(英文拙訳)

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まずは,「怨み」についてです

 

実にこの世においては、

怨みに報いるに怨みをもってしたならば、

ついに怨みの止むことがない。

怨みを捨ててこそ止む。

これは永遠の真理である。

In this world, in reality,

if you have a grudge against a grudge,

it will never stop after all.

It will stop just by abandoning it;

this is the eternal truth.

 

ブッダがこのことばを発したとされます頃から

25世紀以上経った現在の世界情勢を見ましても,

人類の精神レベルは何ら進化していないことが

かなしいかな,よく分かります

 

怨みを捨てること

 

個人レベルであれ,国家レベルであれ,

それは非暴力のことだと思います

 

たとえば,昨今連日のように報道されています

とある大学生の「タックル」の件は,

どう考えましても公的暴力でしかありません

 

スポーツは互いに切磋琢磨こそすれ,

怨み辛みでするものではありません

感情の暴走は暴力以外の

なにものでもなくなってしまいます

 

緊迫する大国同士による政治・経済的「タックル」も,

怨み辛みでは果てしなく続くのみです

 

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続きまして,「非暴力・不服従」の

真骨頂とも思われます一言です

 

怒らないことによって怒りにうち勝て。

善いことによって悪いことにうち勝て。

わかり合うことによって物惜しみにうち勝て。

真実によって虚言の人にうち勝て。

Beat anger by not getting angry.

Beat evil by doing good.

Beat regret by sharing.

Beat a liar by telling truth.

 

なんと知的な戦略でしょう!

この四行全ての方法は

感情をコントロールすることでしかなされ得ません…

 

原始仏教が宗教というよりは哲学だと言われるのは,

こうした理性的・論理的メッセージの宝庫だからです

 

ブッダは,

 

私を疑え

 

と仰いました

疑って,疑って,疑い切れない何かが

残っていて初めて,

それを信じなさい,と

 

また,臨終に際しても,

悲しみ叫ぶ弟子たちに,

 

悲しむでない

私ではなく教えを信じよ

 

 とも仰いました

 

この懐疑主義の奨励は,

「私を信じよ」

と語る,古今東西の大多数の宗教家とは,

全く逆ベクトルです

デカルトの「方法的懐疑」にむしろ近く,

客観的合理性の追求法とさえ思われます

 

原始仏教は人の行い=カルマ(業)に重きを置きます

いい事をすればいい事が起こり,

悪い事をすれば悪い事が起こる

善因善果,悪因悪果です

いわゆる,因果応報で,

そこには感情移入は全くされません

 

そこが,日本仏教のコンテクストでは,

慈悲論が多分に盛り込まれ,

カルマ論の論理性が漠として

感情移入されてしまうのです

  

次に,その「行い」についてのコメントです

 

他人の過失を見るなかれ。

他人のしたこととしなかったことを見るな。

ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。

Don’t look at the faults of others.

Don’t look at what others did and didn’t.

Just look at what you did and didn’t.

 

ひたすら自分を見つめ続けること

 

それがブッダの基本的メッセージでした

他人に見るのは,自分の姿だからです

その意味での「孤独」を

ブッダは美しい比喩とともに勧めています

 

孤独で歩め。悪いことをするな。

求めるところは少なくあれ。

林の中にいる象のように。

Walk alone. Don’t do the evil.

Seek for little.

Like an elephant in the woods.

 

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もちろん,この「孤独」は

非社会的「孤立」ではありません

むしろこの「孤独」が熟成すれば,

自然と利他的な行いにつながります

 

その行いが親切であれ。何ものでも分かち合え。

善いことを実行せよ。そうすれば、

喜びに満ち、苦悩を滅すであろう。

Your behavior should be kind.

Share everything.

Do what is good.

Then, you will be filled with pleasure,

which will extinguish your troubles.

 

そして,「善いこと」を花に付託して,

こう語られています

 

うず高い花を集めて

多くの花飾りをつくるように、

人として生れまた死ぬべきであるならば、

多くの善いことをなせ。

Just as you make many wreaths

by correcting so many flowers,

so do many good things,

if you should be born and die as a person.

  

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ブッダは「ことば」につきましても,

最大限の配慮が必要だとされます

 

自分を苦しめず、

また他人を害しないようなことばのみを語れ。

これこそ実に善く説かれた言葉なのである。

Don’t do harm to yourself,

and tell the words

that will not do damage to others;

this is the very words explained quite well.

 

恥ずかしながら最近知ったことですが,

google の AI は,データ分類する際に

ポジティブワードとネガティヴワードの数を数値化し,

対象となるテキストが読んだ人に

好印象を与えるものか悪印象を与えるものかまで

判定しているのだそうです

 

アルゴリズム原始仏教的に!

 

私たち全員と同じく,

AI にも仏性が,

ブッダになる可能性があるのですね…

 

他者を傷つけない配慮こそ,端的に「思いやり」です

 

他人に愛される人は、

また自分のためにもよいことをするのである。

The person who is loved by others

will do good to the person’s self.

 

マイクロソフト社CEOのインド御出身のナデラ氏の

「思いやり」経営を想起します

tsuputon7.hatenablog.com

 

ただし,世の中の「評価」は無常であることも,

ブッダは指摘します

 

ただ誹られるだけの人、

またただ褒められるだけの人は、

過去にもいなかったし、

未来にもいないであろう、

現在にもいない。

Those who are only accused or only admired

were not in the past,

will not be in the future,

nor are in the present.

 

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さらに「徳」につきましては…

 

花の香りは風に逆らっては香らない。

しかし、徳のある人々の香りは、

風に逆らっても薫る。

徳のある人は、すべての方向に薫るのである。

The scent of a flower doesn’t smell

against the wind;

however, the one of those who have virtue smells

against the wind.

Those who have virtue smell in all directions.

 

徳のある人,つまり善い行いをする人は,

逆風にもめげない花の香りのごとき薫りを放つ…

 

じつに美しいイメージがふわっと広がる一節です

 

ただ,「善い行い」をするには,

自分を優先してしまう欲望を制御する智慧が必要です

 

風によって吹き上げられた塵が

雨によって静まるように、

ひとが明らかな智慧によって見るときに、

諸の欲望の思いが静まる。

Just as the dirt blown up by the wind

will be calmed down by the rain,

so the various desires will be calmed down

when a person looks at things with clear wisdom.

 

この智慧を持ち,

自らの欲望をコントロール出来た人を

原始仏教では「勝利者」と言います

その戦う相手は外部世界のどこにもおらず,

ただただ自分の中にいる欲望という敵です

 

戦場において百万人に勝つよりも、

唯だ一つの自己に克つものこそ、

じつに最上の勝利者である。

The very person who conquers only himself

is really the greatest victor,

not the one who beats

one million people in the war.

 

それでは,このへんで

ごきげんよう

 

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