フィンセント・ファン・ゴッホ『麦藁帽子の自画像』
Feb.2.2018
1853年オランダ生まれの画家です
父親は牧師でした
神学部受験に挫折した後,
伝道活動している中で画家を志しました
現在東京西新宿にあります『ひまわり』を始め,
『夜のカフェテラス』『糸杉と星の見える道』,
『星月夜』『カラスのいる麦畑』『種蒔く人』など,
日本でもその作品はあまりによく知られています
油絵860点を含め,水彩画,素描,版画など
合わせて2,100点以上の作品を残しました
ですが,
生前にはほとんど絵は売れませんでした
没後に弟のテオらの尽力により,
広く「狂気の画家」として知られるに至りました
本日はこの,ゴッホの名言のいくつかを
ご紹介したいと思います
ゴッホ19才頃の写真
まずは,「小さなこと」についてです
Great things are done
by a series of small things brought together.
大事は
寄せ集められた小事によってなされる
また,次のようにも述べています
Great things are not done by impulse,
but by a series of small things brought together.
偉業は衝動ではなく,
小さなことの積み重ねによって成し遂げられる
これはイチローのことばそのままです!
尋常でない仕事を成し遂げる人物ほど,
大きなことを言うのでなく,
目の前の小さなことに謙虚に取り組み,
気づけばとんでもないことになっていた,
という個人史がある気がします
逆の見方をしますと,
小さいことの中に
自身の全身全霊を込めていかれる才能,
それこそが比類なき業績に繋がる大前提とも言えます
ゴッホの一見大胆で豪快にさえ見えるタッチも,
よく観ると独自の点描法の細やかなさばきのあつまり
であることが分かります
『糸杉』
続きましては,方法論についてのコメントです
I am always doing what I can’t do yet,
in order to learn how to do it.
私はいつもまだ自分ができてないことをする,
そのやり方を学ぶために
この貪欲なまでの姿勢は,
ピカソのことばを想わせます
私はいつも自分のできないことをしている,
そのやり方を学ぶために
ほぼほぼ同意です…
お二人とも
できることに満足したら終わりだと
ストイックに自分に言い聞かせ続けることが,
自己鍛錬の原理だったのでしょう
ゴッホは日本の浮世絵コレクターでもありました
数々の油絵の背景などに
何故だか浮世絵が飾ってあったりします
I envy the Japanese the extreme clarity
in whatever they do.
日本人が何をするにも極めて明確であることが
私にはうらやましい
江戸の日本人はこう褒められていたとは!
現代の「曖昧な日本人」のイメージとは正反対です…
洗練されたシンプルな浮世絵の美学が,
ゴッホの画面に自然光を取り込む追求心と
深くマッチしたと言われています
『エットンの道』
父の様に聖職者になることは断念し,
画家一筋を貫いたゴッホの絵を実際に見ていましても,
やはりその中に「祈り」すら感じます
I put my heart and my soul into my work,
and have lost my mind in the process.
私は,自分の作品に心と魂を込める
そして制作過程では思考を失ってしまう
心と魂を絵に込める
そのプロセスでは思考は停止する
まさしく「祈り」を定義したかの様です
そんなゴッホが渇望していたものは,
何だったのでしょうか
I wish they would only take me
as I am.
私はあるがままの自分を
人々が受け入れてくれることだけを望む
売れない絵を生涯延々と描き続けた背景には,
ただ生きているありのままの自分を
世の中に知ってほしいという願いがあったのでしょう
その「狂気」を支えた気概は…
If you are beaten 99 times,
you have only to get up 100 times.
99回倒されても,
100回目に立ち上がればよい。
七転び八起きの10倍以上のスケールです…
『ルーラン夫人と彼女の子』
では端的に,ゴッホの美学とは?
The more I think about it,
the more I realize
there is nothing more artistic
than to love others.
考えれば考えるほど,
他者を愛すること以上に
芸術的なものはない
ということに気づく
ゴッホの生涯は世間的な意味では,
とても幸福なものだったとは思えません
自分の渾身の作品が全く理解されず,
それでも自分を貫く生き方しかできない
ゴッホの作品のモチーフの多くは,
靴や部屋や花といった,
ごくありふれた日常です
このフレーズでゴッホの言っている「他者」とは,
人だけでなく環境全てを含む万物だったと
考えていいでしょう
『靴』
自分の観るものが自分の心象の投影であることを
ゴッホほど実感してそれを描き続けようとした画家も,
稀なのではないでしょうか
人間が被造物の長であるとするキリスト教的発想ですと,
どうしても人間は,人間以外の存在を使う
人間中心主義の立場で,
他の被造物と共存するという考えには至りづらいです
むしろそれは東洋思想的発想でしょう
ましてや,自分の目の前にある環境の中に
自分の心を見出す,唯心論的な立場は,
じつは現代の西洋人でも
なかなか馴染めないものかと思われます
そんな中,ゴッホは日本文化に
羨望の眼差しを注ぎつつ,
東洋的であろうとさえ試みていました
逆の遠近法で言ってよろしければ,
西洋に生まれ育ちながらも,
西洋的であることに強く違和感を覚え,
その自己矛盾を提起しようとしたのでしょう
Don’t seek for the beautiful scenery;
find beauty in the scenery.
美しい景色を探すな。
景色の中に美を見つけよ。
それでは,このへんで
『夜のカフェテラス』