Oct.16.2017
秋もはやはらつく雨に月の影
芭蕉晩年の句です
秋も深まってきて, 時雨も降るようになってきた
仲秋の名月も過ぎ月も小さくなってきたなあ
という感慨に耽っているようです
芭蕉は「時雨」の詩人と言われ
毎年のように読み続けていたそうです
(芭蕉俳句全集(主題別順)参照)
たしかに秋雨前線の影響が出てくると
もう秋→冬なんだろなあと
肌身で感じられます
昨日 iPad でだらだらとネットサーフィンしていたら
東大のHPで聞き捨てならないタイトルの記事に
瞳孔が開きました
それが, こちら↓
えっ?
単純に衝撃を受け, 一気に読み通してしまいました
今日はその概要をお伝えした上で
小生の思うところをゆるゆる書かせて頂こうと思います
記事を書かれたのは
東大大学院人文社会系研究科教授
高野陽太郎先生です
「発表概要」となっている所を引用させて頂きますと,
日本人論では、長らく「日本人は集団主義的だ」と言われてきた。現在では、「集団主義」は、「日本人」の基本的なイメージになっている。
ところが、この通説が事実なのかどうかを確認するために、心理学、言語学、経済学、教育学などにおける実証的な研究を調べたところ、日本人は、欧米人より集団主義的だとは言えないことが明らかになった。また、「日本人は集団主義的だ」と広く信じられているという現状は、人間の思考を歪める心理的なバイアスによって作りだされたものであることも明らかになった。
ええっ!
これまで「日本=没個性集団」
といったステレオタイプを
中学受験の国語に始まり, いやになるほど
くり返して目にしてきた小生の個人史が, 一気に
瓦解し始めました
それは,
「理解不可能」だからではなく
「理解可能」なのに,
これまで明文化されたものを見たことがなかった
ことに対する驚き
によるものです
先生曰く,
心理学的研究では,
同調行動(自分の意見を曲げて集団の意見に従うこと),
協力行動(自分の利益を犠牲にしてでも集団に献身すること)
について, 日米比較実験をしたところ,
明らかに
という通説を支持していなかった
言語学研究では,
「私は寒い」と言えても「母は寒い」とは言えない等,
日本語の特性が
「他者とは明確に切り離された自己」
の存在を示していることを明らかにした
教育学研究では,
学校での「いじめ」は、
「異質なものを排除しようとする
集団主義的な日本社会に特有の現象」
と評されることが多かった
ところが、近年の実証的な研究を通覧したところ、
アメリカでも「いじめ」は発生しており、
発生率も日本より低いとは言えないこと
が明らかになった
経済学研究では,
「日本的経営」論で言われてきた
「終身雇用」や「年功賃金」
が事実ではない、あるいは、欧米諸国とのあいだに
明確な差異がないことを明らかにした
これらの研究を踏まえた上で,
(西洋の東洋に対する偏見に満ちた視線)として
また「日本人 = 集団主義」説が広まった理由として,
対応バイアス
(外を考えず内のみに原因を求め自己評価すること)
によることが挙げられること,
を指摘されておられます
つまり,
「日本人=集団主義」って,
自分たちで勝手につけたイメージで, 事実じゃない,
日本人も欧米人に劣らず個人主義的だ,
ということに!
この記事に昨夜触れ,
社会って共同幻想だなあ
と, ゆるゆる確信をあらたにしました
「日本人には個がない」
っていうのは
マスコミ的キャッチフレーズ
にすぎない
だったら,
山中伸弥教授らを
く突然変異>ってレッテル貼るだけで終わらすの?
彼らはみんな,
日本的「個」の真骨頂,
職人気質って共通項があるよ!
日本で「個」でいるには勇気が必要だ
なんて, 嘘じゃん!
みんな, 「個」じゃん!
そもそも,
芭蕉が日本人の心の源流とか言うけど,
こう考えると,
なんだか心底ほっとしてきて
14°Cの時雨も温かく感ぜられてきました
ちなみに, 高野教授はすでに2008年に以下のタイトルで
本を出版されています
是非是非, 読まして頂こうと思っています
『「集団主義」という錯覚 ― 日本人論の思い違いとその由来』
(新曜社)
それでは, このへんで