May.30.2018
マックス・ヴェーバーは,1864年ドイツ生まれの
1905年に
を執筆し,
比較宗教社会学的手法で
西洋近代の資本主義を発展させた原動力を
分析しました
そしてそれは,
宗教改革の源流であるカルビニズムの
宗教倫理から生み出された,
世俗内禁欲と生活合理化だとしました
旧約聖書の再評価を積極的に行いました
例えば「働いた分だけ、富が与えられる」とする,
現代日本の私たちにとって当然至極の考え方は,
実は旧約聖書にある発想で,
資本主義の原理の一つとも言えるものです
資本主義世界に適応しやすく,
世界各地で大富豪になりやすい理由の一端は,
この点にあるとする学者もいます
本日はこの,マックス・ヴェーバーの
名言のいくつかをご紹介したいと思います
まずは,「官僚的行政」が
成し遂げうることについてです
Precision, speed, unambiguity, knowledge of files,
continuity, discretion, unity, strict subordination,
reduction of friction
and of material and personal costs -
these are raised to the optimum point
in the strictly bureaucratic administration.
正確性、スピード、透明性、ファイリングの知識、
連続性、思慮深さ、統合性、厳格な追従、
摩擦と物質的人的コストの軽減、
これらは厳格に官僚的行政において
最適な時点にまで引き上げられている
ヴェーバーが活躍した約100年前から今日に至るまで,
資本主義は世界中のほとんどの国に
甚大なる影響及ぼし続けてきました
資本主義を主とした国々では官僚組織が形成され,
それによって現実に
この主義が機能するようになりました
ここでヴェーバーがあげています色々なポイントは,
ある意味で「機械的」性格のものばかりです
資本主義は人々を機械化する面は否めませんでした
「社会の歯車」という表現が
美化されるくらいですから…
資本主義世界がまだ成熟する前に,
このように予言していましたヴェーバーは,
先見の明があったとしか言えません
ですが,今後AIやロボット技術によって
ほとんどのタスクが引き受けられ得るものと
考えられます
ではヴェーバーのビジョンでは,
どのようなポイントが社会にとって
「機械的」ではなかったのでしょうか?
たとえばヴェーバーは,「役立つ教師」について
次のように述べています
The primary task of a useful teacher
is to teach his students
to recognize 'inconvenient' facts -
I mean facts
that are inconvenient for their party opinions.
役立つ教師の主な仕事は
「不都合な」事実を認識するよう
生徒たちに教えることである
つまり彼らの集団の意見にとって
不都合である事実のことだ
機械は人間にとって「都合の良い」ものです
つまり資本主義とは,
「都合の良い」ことをいかに追求するか
に向けられた考え方です
ですが,
リアリティーは「不都合な」ことで
満ちあふれています
思い通りにいかないことばかりです
むしろ私たちの生活にとって,
元来「都合の良い」ことの方が稀有でしょう
本当に役立つ教師とは,
こうした「不都合な」事実を的確に
生徒に教える教師だと,
ヴェーバーは言います
次に,
「有限」と「無限」をキーワードとするコメントです
All the analysis of infinite reality
which the finite human mind can conduct
rests on the tacit assumption
that only a finite portion of this reality
constitutes the object of scientific investigation,
and that only it is ‘important’
in the sense of being ‘worthy of being known.’
有限な人間の精神がすることのできる
無限の現実についての分析すべては、
この現実の有限な部分のみが
科学的調査の対象を構成している、
そしてそれだけが「知られる価値がある」
という意味において「重要である」
という暗黙の仮説に基づいている
アインシュタインも超えたとされる宇宙物理学者,
リサ・ランドール博士は,
夜空を見上げた時目に入るもので,
人類が科学によって説明できることは
たった4パーセントくらいしかない
と仰っています
宇宙という無限に対して
有限な私たちがせいぜいことばにできることは,
液体をろ過するときのフィルターに残された,
わずかな「おり」のようなものでしかありません
ですが私たちは,
そのろ過作業として「文化」を作らないでは
いられないのです
‘Culture’ is a finite segment
of the meaningless infinity of the world process,
a segment on which human beings confer
meaning and significance.
「文化」とは世界のプロセスという
無意味な無限性の有限な部分である
つまり人類が意味と重要性を与える部分のことである
ただし「文化」の基盤とも言えます学問が
恣意的に行われるべきではありません
ヴェーバーはそうした学問にとっての倫理を,
端的にこう指摘してます
Within the confines of the lecture hall,
no other virtue exists
but plain intellectual integrity.
講義室の仕切りの中では
簡潔で知的な誠実さ
以外の美徳は存在しない
難しいことを難しいまま言ったのでは,
説明にはなりません
難しいことを簡単に表現できて初めて,
意味のある解釈となります
そうした意味で学問は,
端的明瞭を志向し続ける知的営みであるべきだ
とヴェーバーは言います
ヴェーバーは「価値判断」について,
次のように述べています
Causal analysis provides absolutely
no value judgment,
and a value judgment is absolutely
not a causal explanation.
因果的な分析は絶対的に
どんな価値判断も与えない
そして価値判断は絶対的に
因果的な説明ではない
これからの社会は資本主義を脱し
「価値主義」へと移行するとする学者が
急増しています
「モノ・カネ」中心主義から,
「価値」の追求に生活の全エネルギーを
集中させようとする人が,
近代型資本主義社会の様々なほころびから
生まれつつあるとするのです
ヴェーバーにとって「価値」は,
資本主義的フィルターから漏れ出した液体の方を
指していたのかも知れません
こうした意味合いでウェーバーは
「絶対的な目的」を掲げることに,
とても慎重になっています
One cannot prescribe to anyone
whether he should follow
an ethic of absolute ends
or an ethic of responsibility.
人は誰にであれ
絶対的な目的のための倫理や責任の倫理に
従うべきかどうかを処方することなどできない
大企業的利益追求至上主義もテロリズムも,
ヴェーバーによりますと
「絶対的な目的」を掲げているわけで,
共に人としてあってはならないものだ
ということになります
フランスの諺に,
「絶対」が口癖の人とは付き合うな
というものがあります
繰り返し「絶対」ということばを言っている,
ということは,
細かくものを考えていない,
ということです
ですが,そのメッセージを強く印象づけることで,
自分の主張を相手に何があっても押し付けたい,
という心理が働いています
ヴェーバーは冷静に,
その「絶対性」を避け続ける学者でした
だからこそ,次のような考えにまで至ったのです
It is not true that good can only follow from good
and evil only from evil,
but that often the opposite is true.
善は善のみに,悪は悪のみに続くものではない
しばしばその反対になる
それでは,このへんで