tsuputon's blog

英語の名言をベースに, 哲学から医学・薬学に至る雑学を, ゆるまじめにご紹介していきます

英語の名言:科学と芸術は敵対するものではない(サミュエル・モールス)

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サミュエル・モールス『ルーブルのギャラリー』

 

                                             July.3.2018

 

 

サミュエル・モールスは,1791年,

アメリカ生まれの発明家です

 

元々は若い頃から画家として

イギリス留学までして,

帰国後肖像画などで

かなりの成功を収めた方でした 

 

ところが1825年,

ワシントンである侯爵の肖像画

描いている時,

モールスは馬に乗った使者から

父からの「妻危篤」のメッセージを

受け取りました

本人は急遽ニューヘイブンに

向かいましたが,

到着したのはすでに埋葬が

済んだ後でした

 

妻の最期を看取れなかったモールスは,

高速長距離通信手段の研究に打ち込み,

最終的にあのモールス電信機を発明し,

モールス符号を世界に広めました

 

個人的には小学校低学年の時,

サンタクロースから

電子ブロック」というおもちゃを戴き,

モールス信号機やラジオを作って

兄と遊んでいた記憶があります

その時,SOSが

「タタタ・ターターター・タタタ」

と打つんだと知って感激して,

誰に向けるでもなく

一日中SOS信号を発していたのを

覚えています

 

本日はこの,モールスの

名言のいくつかをご紹介したいと思います

 (和文拙訳)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/サミュエル・モールス

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まずは,子どもと夢についてのコメントです

 

Every child has a dream,

to pursue the dream is

in every child's hand to make it a reality.

One's invention is another's tool.

すべての子どもは夢を持っている  

夢の追求は

それを実現させるためにすべての子どもの

手の中にある

ある人の発明は他の人の道具となる

 

モールスの夢は

大人になってからのものではありましたが,

その実現を記念することばがありました

 

次の聖書の一節は,

ボルチモアからワシントンへ

初めてモールスが公式に送信しました

電報メッセージです

 

What Hath God Wrought.

神は何を書きたもうたのか

 

このことばを選んだのは,

当時の米国特許庁長官の娘で

モールスへの出資者でもあった

エルスワースですが,

敬虔なカルヴァン主義者である

牧師の父の影響もあったのでしょうが,

モールス信号の第一声が

このフレーズというのは,

妻の最期を看取れなかった自分自身の

神に対する純粋な疑問として,

意味深なものを感じます

 

 

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最初の電信機の図面

 

 

モールスは30歳の頃には,

すでに画家としての知名度も上がった,

「順風満帆」な生活を送っていました

 

Alas, the very name of picture

produces a sadness of heart

I cannot describe.

ああ,絵というまさにその名前が

私には描写できない

心の悲しみを生む

 

こうした想いを吐露するほどに,

絵にのめり込んでいたのです

アメリカ文化と生活の本質を

絵で表現しようと試みていました

25歳の時には,元アメリカ大統領,

ジョン・アダムズ肖像画まで

描いています

 

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ですが,モールス自身,

画家であることに対する悩みも

相当ありました

 

Painting has been a smiling mistress

to many, but she has been a cruel jilt

to me; I did not abandon her,

she abandoned me.

絵画は多くの人たちにとって

ずっと微笑む女主人であるが,

私にとってはずっと残酷にも振る女性だ

私は彼女を捨てなかったが,

彼女は私を捨てた

 

そして…

 

I have no wish to be remembered

as a painter, for I never was a painter;

my idea of that profession was

perhaps too exalted;

I may say, is too exalted.

I leave it to others more worthy

to fill the niches of art.

私は画家として記憶されたい

とは思わない,

というのも私は決して画家などでは

なかったからだ

あの職業に対する私の考え方は,

おそらくあまりにも高尚なるものだった

今でも高尚すぎると言ってもいいだろう

私はもっとふさわしい方々に

芸術家としての適所を占めることを

任せたい

 

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電鍵を持つモールス

 

 

モールスの電信機は特許として

認められたものの,

さまざまな利害関係により,

アメリカ国内では無視され続けました

「電信の父」としての名誉を

獲得するまでの自身の苦労について,

次の様にモールスは回顧しています

 

I have been so constantly

under the necessity

of watching the movements

of the most unprincipled set of pirates

I have ever known,

that all my time has been occupied

in defense, in putting evidence

into something like legal shape

that I am the inventor

of the Electro-Magnetic Telegraph.

私は今まで自分が知ってきた中で

最も道義心のない一連の海賊の動きを

監視する必要性が

あまりにも絶えずあったので,

私の時間はすべて,

自分が電磁気通信の発明家だという

法的な形へと証拠固めする

弁護に費やされた

 

不遇な状況にもめげず,

モールスは他国での電信機普及に

尽力を注ぎました

 

アメリカでよりむしろヨーロッパ各国で

本格的に普及しました

1858年には,

フランス・オーストリア・ベルギー・

オランダ・ピエモンテ・ロシア・

スウェーデントスカーナ・トルコで

モールス式電信施設の数によって

出資がなされ,

モールスに総計約8万ドルが

与えられました

同年,スウェーデン王立科学アカデミー

外国会員にも選ばれました

 

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1854年ペリーが黒船で初めて日本に持ってきた

モールス電信機(通信総合博物館蔵)

 

 

モールスは信号機のネットワークを

すでに当時から「神経回路」に喩え,

次の様に自身のヴィジョンについて

述べています

 

It would not be long

ere the whole surface of this country

would be channelled for

those nerves which are to diffuse,

with the speed of thought,

a knowledge of all

that is occurring throughout the land,

making, in fact,

one neighborhood of the whole country.

すぐにも,

この国の至る所が,

拡散していく神経回路に

接続していくことだろう

思考のスピードで,

国中で発生している

すべてのことについての

知識が実際,

全国を近隣にすることになる

 

ある意味で当時の

グローバル化」的イメージ

だったのでしょう

 

画家であることを自ら否定し,

人生の後半で電信機開発に

すべてを捧げ,

人類に欠かせない「道具」を

発明して去ったモールス

 

ただ,その本音は

逆説的にも

次の様なものでした

 

 Science and art are not opposed.

科学と芸術は敵対するものではない

 

それでは,このへんで

ごきげんよう

 

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1866年のモールス

 

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