一葉が18歳の時から母・妹と三人暮らしをしていた東京・文京区菊坂居宅跡付近にて
June.1.2018
樋口一葉は,1872年東京生まれの
小説家です
生活苦の中で一年半のうちに
特に「たけくらべ」は
夏目漱石の長兄・大助との縁談もありました
ただ,そうした文壇での輝きも虚しく,
24歳で夭折されました
明治初期にして,
すでに男女同権であるべきだとする記事を書くなど,
維新後早々に「西欧的自我」を持った
アイデンティティの確立の重要性を
感じ取っていた方でした
そうした意味で,
日本の女性民主活動家の先駆けとも言えます
言わずと知れたことですが,
現在の五千円札紙幣の図柄になっています
123年ぶりで二人目です
小生は学生時代に二,三読んだくらいですが,
品のある文体の中に,
静かな炎と突然の爆発を感じた記憶があります
本日はこの,樋口一葉の名言のいくつかを
ご紹介したいと思います
(英文拙訳)
まずは,「恋」にまつわるものをいくつか…
せつなる恋の心は尊きこと神のごとし。
The ardent heart of love is as precious as God.
『たけくらべ』を筆頭に,
一葉の小説における男女の恋心の繊細な描写は,
当時の鴎外や漱石ら男性作家たちには描けない
迫真性があったと評されます
明治時代の男性作家ですと,
どうしても理想や空想,
果ては妄想に走りがちでしたが,
一葉の作品ではそれらの要素も含みつつ,
かつ冷徹なまでの現実直視が
くさびのごとく差し込まれていく気が致します
くさびと言いましたが,たとえば…
恋とは尊くあさましく無残なもの也。
Love is precious, greedy, and cruel.
痛烈な三拍子です
さらに…
恐ろしきは涙の後の女子心なり。
So terrible is the mind of a lady after her tears.
……
両手で顔を覆い泣き崩れつつも,
指の隙間から困り果ててる男の表情をうかがう,
あのことでしょうか…
かの芥川龍之介をもってしてさえ,
こうとしか言えなかったものですが…
女人は我々男子には正に人生そのものである
一葉にとっては,
半ば考えることを諦めている龍之介とは反対に,
恋は喜怒哀楽をはじめ,
「人間」を知るための全媒体だったようです
只世にをかしくて、あやしく、のどかに、
やはらかに、悲しく、おもしろきものは
恋とこそ言はめ。
It has been said that it is love
that is interesting, mysterious, peaceful,
soft, sorrowful, and funny.
続きまして,
生活苦に苛まれていました一葉の悲痛な叫びです
ああ、いやだ、いやだ、いやだ。
どうしたなら人の声も聞こえない
ものの音もしない静かな、静かな、
自分の心も何もぼうっとして
物思いのないところへ行かれるのだろう。
(にごりえ)
Oh, No,No,No.
How can I get to the place
where I cannot hear human voices,
any sounds of things,
and there’s much calmness,
which makes me and everything
blur and mindless?
「無」になりたい気持ち
それは時にはネガティヴの極みに,
時にはポジティブの極みへと私たちを加速させます
身をすてつるなれば、
世の中の事、
何かはおそろしからん。
If I have thrown myself away,
how can I feel scared by something
in the world?
一葉の意識は,この時点で
ガンジーのそれに匹敵するものでもありました
ここに至って,
一葉の気持ちはもはや出家尼僧の如しでした
世俗的重力に耐えきれないほどの垂直の力が,
一葉の運命を決めてしまおうと
していたのかも知れません
利欲にはしれる浮き世の人あさましく、
厭わしく、これゆえにかく狂えるかと見れば、
金銀はほとんど塵芥の様にぞ覚えし。
Seeing the people who seek
for the very self-interests in the real world
greedy, hateful, hence their madness,
I do think of gold and silver as virtual dirts.
一葉が世俗的重力場を脱した視座を
悠々と獲得していたことがよく分かるフレーズが
ありました
みなさまが野辺を
そぞろ歩いておいでの時には、
蝶にでもなって、
お袖のあたりに戯れまつわりましょう。
When you all come walking capriciously
to the wild field,
I’ll be pleased to play around your sleeves,
changing mysel into a butterfly.
これは上空からの発言です
荘子の『胡蝶の舞』は
夢と現実の区別がつかなくなった,
荘子の気の動転ぶりをあらわすものでしたが,
一葉は自らの意志で「蝶にでもなって」
というわけですから,
もはや天女の発言です
現実を見透かすための逆遠近法を,
いのちを削り生きながらにして会得していた,
と解するのは行きすぎでしょうか
ただ,一葉本人は
自身の命懸けのことばの持つ,
時代を超えるポテンシャルは
確信していたようです
この世ほろびざる限り
わが詩はひとのいのちとなりぬべきなり。
Unless this world perishes,
my poetry should have been lives of people.
生活苦の中にあって,
日の日に心も「とがって」行ったに違いありません
そんな自分に自戒の念を込めてでしょうか,
「悟り」の境地に至ったからでしょうか,
意外な一言がありました
丸うならねば、
思う事は遂げられまじ。
If I myself can’t be round,
I will never achieve anything I’d like to do.
それでは,このへんで