May.11.2018
エピクロスは,紀元前341年
ギリシャ生まれの哲学者です
現実の煩わしさから解放された「快」の追求のみが
人生の目的であると考えました
彼は人間の欲求を3つに分けました
(1) 自然で必要な欲求 (友情,健康,衣食住など)
(2) 自然だが不必要な欲求 (大邸宅,贅沢な生活など)
(3) 自然でもなく必要でもない欲求 (名声,権力など)
です
彼の言う「快」は専ら (1) の欲求の追求のみであり,
(2) や (3) の俗的欲求ではありません
自然で必要な欲求だけの追求によって,
苦痛や恐怖から自由な生活を送ることを理想とし,
その結果生じる「平静な心 (アタラクシア)」の模索を
善だとしました
現在でもよく,エピクロス哲学を曲解した
「エピキュリアン」ということばを耳にします
「快楽主義者」という意味で用いられますが,
これは全くの俗的解釈で,
(2)や (3)の欲望追求になっています
それですとエピクロスの思惑とは正反対で,
苦の原因となってしまいます
エピクロスは三十歳過ぎにして,
アテナイ郊外の庭園付きの小さな家を購入し,
「エピクロスの園」として弟子たちと共同生活をし,
余生のほとんどの時間をそこで過ごしました
そして「アタラクシア」の境地を極めようとました
そのソクラテスの弟子である
アリストテレスが作った『リュケイオン』の双方で
聴講をしています
ですが,この三者ともまた一味違った
独自の哲学を語り,実践し,教えたのです
本日はこの,
静かな生活の中での幸せを求め続けた,
エピクロスの名言のいくつかを
ご紹介したいと思います
(和文拙訳)
エピクロスの胸像
まずは, 「快適な生活」についてです
It is impossible to live a pleasant life
without living wisely and well and justly.
And it is impossible to live wisely and well and justly
without living a pleasant life.
賢く健康で正しく生きることなく
快適な生活を送ることはできない
そして快適な生活を送ることなく
賢く健康で正しく生きることなどできない
心身ともにほどよく生きること,
確かにそれは快適な生活の必須条件でしょう
そしてその逆もまた然り,と
また,冒頭に述べました,
「自然で必要な欲求」につきましては…
Do not spoil what you have by desiring
what you have not;
remember that what you now have was once
among the things you only hoped for.
持っていないものを望むことで
持っているものをムダにしてはならない
今あなたが持っているものは,かつては
あなたがただ望むことしか出来なかったものだった
ということを忘れないように
足るを知ることの必要性は,
老子もことあるごとに語っていたことです
自分が身の回りに持っているものに満足し,
それを最大限活用して生活すること,
それが心身の充実感の大前提とも言えます
過剰な財産は
自然で必要な欲求の対象ではありません
Not what we have but what we enjoy,
constitutes our abundance.
財産ではなく楽しみこそが,
豊かさを作り出す
持っていても使わなければ意味がありません
それを活用して初めて私たちのプラスとなります
エピクロスは心身ともに,
いかに人がよりよい生活を送れるかを
追求しました
ブッダの幸福論にも通じるものも感じます
物質的な富はほどほどに,
そして平静な心を維持し続ける
「アタラクシア」を獲得する境地に至ること
彼はこの境地を自らの「感覚」のみを
信じることにより得られるとしました
ある意味で,千利休の茶道の精神に
通じるものがあるかもしれません
次のようなコメントすらある位ですから…
The misfortune of the wise is better
than the prosperity of the fool.
賢者の不幸は愚者の財産よりもよい
エピクロスは「幸せ」を追求する哲学者でした
We must exercise ourselves in the things
which bring happiness,
since, if that be present,
we have everything,
and, if that be absent,
all our actions are directed toward attaining it.
私たちは幸せをもたらしてくれるものごとに
注力しなくてはいけない,
というのも,もし幸せがあるのなら,
私たちはあらゆるものを持つことになり,
そしてもし幸せがないのなら,
行動の全てがそれを得るよう向けられるからだ
私たちが生きる目的は幸せになることである
これは古今東西様々な哲学者たちに
繰り返し言われ続けてきたことです
そこに至る方法論の違いによって,
いろいろな哲学が語り継がれてきました
「自然で必要な欲求」が満たされているならば
充分として,
次のようなことすら述べていました
Give me just bread and water,
and I’ll be able to compete with gods for happiness.
私にパンと水さえあれば、
神と幸福を競うことができる
神と幸福を競う…
静かな中で,とてつもないスケールです
そして幸せになるためには友情も必須です
Of all the things which wisdom provides
to make us entirely happy,
much the greatest is the possession of friendship.
私たちを完全に幸せにするために
知恵が与えてくれるすべてのものごとの中で,
ずば抜けて最も素晴らしいのは友情を持つことだ
ただし「友だちが多ければ多いほど良い」
わけではありません
むしろエピクロスの考え方は,
自分にとっての「友だちという存在」
がポイントでした
It is not so much our friends’ help
that helps us,
as the confidence of their help.
私たちの助けとなるのは,
友人たちの助けというよりはむしろ
彼らが助けてくれると確信することだ
友だちの助けそのものを渇望するのではなく,
いざとなったら助けてくれる友がいるという
心の安定が大切だと強調しています
最後は,自分を助けるのは自分でしかない,
という考えが前提にあったのでしょう
そして「死」について,
独自の見解を示していました
Death does not concern us.
because as long as we exist,
death is not here.
And when it does come, we no longer exist.
死は私たちには関係がない,
なぜなら私たちが生きている限りは,
死はここにはないからだ
そして死がまさにやって来たときには,
もう私たちは生きていないからだ
自分の感覚に
全幅の信頼を寄せていましたエピクロスは,
生きている間に死を感じることもできず,
死んだ時にも感じることができないのだから,
私たちに死は関係ないと解釈したのです
私たちが感じられるのは他者の死であり,
自分の死ではないのです
アタラクシアの境地で,
静かに厳かに迎える死こそが,
エピクロスにとっての理想の死に方だったのでしょう
The art of living well
and the art of dying well are one.
うまく生きるコツは
上手く死ぬコツと同じである
それでは,このへんで