Dec.5.2017
小生の座右の書のひとつに
があります
なぜ座右の書と言い切れるかと言いますと,
ご本人とは10回ほどしかお会いしていないのですが,
この本は数え切れないほど
小生の精神的窮地を救ってくれたからです
目次だけでも悩みが吹き飛んだことも多々あります
同書は文庫サイズで読み切り4ページの
55作品からなるエッセイ集です
今回はその中から感銘を受けた一作品を
ご紹介したいと思います
それは16番目の
「心のなかの勝負は51対49のことが多い」
と題されたものです
人の心のなかは意識と無意識に分けた場合,
多くがその比率が51:49だと先生は仰ります
ただその差2パーセントが当人にとっては全てに思え,
2:0の決定をしているかのように生きている,と
例に挙げておられますのは,
親に無理やり
カウンセリングに連れてこられた高校生です
先生の前で椅子に背を向けて座った彼を見て,
先生は「やりやすい子が来た」
と思われるそうです
その子の反抗的姿勢がすでに「対話」を開始していて,
先生が話をする気がないんだね,って言うと,
当り前やないか。
こんなことしやがって,うちの親父はけしからん…
と,見事に対話してくれる,と
先生は考えられるのです
何という,魂のドリブル!
この高校生は先生を無視したわけではなく,
積極的に拒絶したわけです
ただ,カウンセラーに兎に角,
会いに来ているという身体的事実が,
ひょっとしたらカウンセラーさんとかいう人が
自分を助けてくれるのかもしれないという
無意識のメッセージなわけです
つまり,身体=51/ことば=49の割合で,
2パーセントの差で彼は先生に対する期待感を
表現しているのです…
確かに,
日々意思決定するときにも同様な局面があります
悩み,迷い,葛藤…
これらは河合先生流で言いますと
意識と無意識の2パーセント差をめぐる戦いです
カレーにしようかな,パスタにしようかな?
に始まり,
セーターにしようかな,シャツにしようかな?
沖縄にしようかな,ハワイにしようかな?
彼に告白しようかな,やめようかな?…
「~かな?」の大半は
この2パーセントのせめぎあいで,
なんらかのきっかけを待っている状態です
身近な家族,友人,本,ブログ(!)が
その2パーセントを決めてくれる…
最近本屋さんやネットでは
「勇気」という文字が氾濫しています
ということは,
「勇気」がない人が氾濫している,
ということを表しているのでしょう
言い換えますと,
この2パーセントのせめぎあいに
多くの人が慢性的に苦しみ続けている
実はどちらでもいいようなことまで,
気づけば苦しまされている
選択肢が多すぎる
情報化社会の闇であり病であるのかもしれません
選ぶことに疲れ,何が大切かわからない毎日
とは言え,もちろん
勇気の安売りは無謀でしかありません
量より質,質より量,
さまざまな2パーセントが強迫的に揺らぐなか,
質かける量を追求したい
しなやかに流れる水のように
誰をも傷つけず誰にも傷つけられずいられたらと,
ゆるゆる穏やかな小春日和に
想いを馳せています
The highest excellence is like water.
上善は水の如し
それでは,このへんで