tsuputon's blog

英語の名言をベースに, 哲学から医学・薬学に至る雑学を, ゆるまじめにご紹介していきます

英語の名言:恋は影のごとく逃げていく, たくさんの恋が追いかけても(シェークスピア)

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                   Nov.27.2017

 

 坂本龍一氏はある雑誌の対談で,

ポエジー(詩性)のないものは芸術ではない

と語っておられました

 

思春期の頃からずっとずっと追いかけ続けてきた

楽家の方の印象的な発言だけに,

小生はことあるごとに

この言葉の意味を考え続けてきました

 

詩を語るなんて言うと

おこがましいこと忍びないですが

そこは図々しくも考えようとはしてきました

  

そこで今日は,

イギリスの詩人と言えばこの方,

シェイクスピアの名言のいくつかを

ご紹介したいと思います

 

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まずはコミュニケーション論です

 

    Give every man thy ear,

     but few thy voice;

    Take each man’s censure,

    but reserve thy judgement.

    すべてに人にあなたの耳を傾けなさい,

    しかし自分の声は少数の人だけに

    ひとりひとりの意見を聞きはしても,

    判断は差し控えて

 

 thy=your の古典語で,

気分を出しますと「汝の」ですが,

シェークスピアは当時の口語調で書いた

とされていますので,

所謂「上から」目線ではありません

 

人の話を聞くのは社会的責任だとされますが

気がつくと自分が自分がとなり,

人の意見を聞く前に

自分が意見を言ってしまいたくなるものです

ですが, それでは相手もそうですが

自分の学びの機会を失うことになります

こうした, いわばモラルハザードに対して

すでにシェークスピアが警鐘を鳴らしていたのは

興味深いところです

当時から人の話を聞かない, 聞けない人がいて,

問題になってたからこそのことばでしょうから…

 

人間には耳が2つあり口が1つあるのだから

「2」聞いて「1」話しなさいという

ユダヤの諺もあります

話し上手は聞き上手とは正しく

ユダヤでもシェイクスピアでも言うことなわけですね

 

tsuputon7.hatenablog.com

 

 

続いて人生論です 

 

    Life is as tedious as a twice-told tale.

    人生は二度語られる物語のように退屈である

 

    Life is but a walking shadow.

    人生は歩く影にすぎない

 

このあきらめの境地, 悟りの境地はなんでしょう!

とかく‘Life is~’ になっているとシェイクスピア

こういうことを言ったりします

 

まず「二度語られる物語」…

ものごとは反復すると言いたいんでしょうか

確かに途中まで行ったら先が読めるとなれば

それは退屈なわけです

 

そして「歩く影」!

この一見消極的で微妙な表現の中に

シェイクスピアの繊細さも感じられます

影ではあるんですが歩くと言う要素も入っているわけで

「動中の静」

をこの言葉に込めようとしたのではないでしょうか

この but は only の役割をしていますので,

人生=単に歩く影

と, 言い放っているのです

 

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続きまして, ファッション?ですが・・・

 

    So may the outward shows

    be least themselves:

    The world is still deceived with ornament.

    外観というものも

    一番そのまま,ということがないものだ

    世のひとはそれでも虚飾にあざむかれる

 

この So は So do I.と同様, alsoの役割をしています

may は「~かもしれない」だけでなく「~するものだ」

という訳もありえます

〈習性〉を表しています

 

…確かに

服装や化粧は生身のその人ではないのですから

仮のものであり虚飾です

虚飾ですがみんながみんなやってるわけですから,

お互いに悪く言えば騙し合い

よく言えば集合的な夢を演出しているわけです

ただシェイクスピアは人間の本質を描くとすると

こうした言葉を言わずにはおれなかったのでしょう

 

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最後に, お待たせいたしました

恋愛論でございます

あまりにも有名なこの言葉を, どうぞ

 

    Love like a shadow flies

    when substance love pursues;

    Pursuing that that flies,

    and flying what pursues.

    恋は影のごとく逃げていく,

    たくさんの恋が追いかけても.

    それを追えば逃げていき,

    逃げれば追ってくる.

 

2行目の when は

though(~だけれども)と読み替えられます

 

「恋はまことに影法師,

いくら追っても逃げていく」という名訳がありますが,

あえて原文尊重で語順を活かして訳出してみました

 

Love は「愛」「恋」「恋愛」いずれにも訳せますが…

「恋と愛の違いは?」という問いに

「恋は下に心があるけど愛は心が上にある」

という古典的な解釈もありますが,

お話しのスケール上,

追い駆けっこレベルなので「恋」にしました…

 

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恋はカーチェイスなんでしょうか… 

こちらがポリスで相手が犯人,

あるいは相手がポリスでこちらが犯人?

当事者同士にしかわからないですよね

 君のハートを逮捕する

という名言?がかつてあったような… 

 

恋愛論というものは語り続けたら

延々語り続けなければならなくなる

endless loop のものだと思いますが,

とりあえずあまりにも巧みなシェイクスピアの表現と

その美的センスに心を奪われ,

肝心の意味が二の次になってしまうような気もします…

本当にあまりにも月並みな言い方ですが

科学がいくら発達しようと

こうした人の繊細な精神を表現する能力は

人類の古典期から何も進化していない,

あるいは退化しているのではないかと思ってしまう

今日この頃です

繊細であることと科学的であることについては

すでにパスカルも悩んでいました

 

tsuputon7.hatenablog.com

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シェイクスピアは端的明瞭な言葉でありながら

あまりに人間の本質をついていこうとする意識が強く

その上文才も極めている方ですから

やはりやはりとてつもないです

頭の中に常に30人以上の人がいて

ずっと会話していたとか

ある人が別な日にシェイクスピアに会うと

全く別人に思えたとか

今で言う統合失調症気味だったのは間違いない

とは言われています

ただ芸術は狂気の発動だと小生は確信しておりますので

神に召された芸術家にはさもありなんという

状況でしょうか

 

では今回, 改めてシェイクスピアに触れて

個人的に1番深く刺さった句とともに失礼いたします

 

それでは, このへんで!

ごきげんよう!

 

 

    The worst is not,

    So long as we can say, ‘This is the worst.’.

    最悪ではない,

   「これが最悪だ」などと言えるうちは

 

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