↑セザンヌ『りんごと水差しのある静物画』
Oct.2.2017
こんにちは
セザンヌ, 好きなんですよね
何と言ったらいいんでしょう,
個人的なイメージとしましては,
「形」か「色」かといったら,
「色」が「形」をはみ出していて,
それも度ぎつくなくさりげなく
じみはで
だからかな…
と言われます
※
「ミーム」については詳しくは10回前(9/21)の投稿記事『あいさつも遺伝子!? : ミーム(文化的遺伝子)について』
を御覧下さいませ
PlCASSO : Woman in a Hat with Pompoms and a Printed Blouse
全く次元が異なるレベルですが
僕は以前お話ししました
F先生がいなければ今の自分はありえなかった
と断言できます
何故だか前回の「瓦は虹色でしょっ!」(9/23分)が
面白かったと言ってくれた知人がいましたので
ならば, と図に乗り易い小生は,
F先生の思い出をシリーズ化することにしました...
念のため再び書かせて頂きますと
F先生は小生の小学校3・4年生の時の担任の先生で
ことに芸術教育については鬼のように小生を
鍛えて下さった方です
誰しもが認める美人教師でした
小生の実質的には初恋のひとです
あれは
3年生の9月のことでした
夜になってもお腹の断続的な痛みが収まらず,
3日が経っていました
今思うと,
横隔膜あたりがまるで心臓の鼓動のように
ズキンズキンしていたのです
親には黙っていました
何故かというと
当時病弱だった小生は, すぐに風邪を引き
ことあるごとにファミリードクターだった
沖田先生(当時の推定年齢80才くらい)
のお世詰になっていて
父親が弱々しい僕に業を煮やして
少々のことでぴーぴー言いな!
とキレたばかりだったからです
自分でも体の弱さが嫌で
裸になると虚弱体質丸出しで
鳥のヒナのように肋骨むき出しだったくらいで
なんとかせなあかん
と思っていたのです
ですが, その夜は限界でした
2時くらいだったと思います
耐えられなくなった小生は親の寝室に行き
お腹痛い
と一言
すると母親がおもむろに起き出し電灯を点けると
開口一番,
ええっ, 顔白いで, これ, あかんわ,
あんた, ちょっと!
と叫び,
父親を叩き起こしました
驚いた父親が飛び起き, 「沖田さんや!」
と言い, 黒電話に手を伸ばしました
子どもながらに,
いくらなんでも真夜中やで
と思ったのですが, 最早立っているのもままならず
その後の記憶はぷつぷつと切れていますが,
親から聞いたことも含め, 続けさせて頂きます
父親が赤のサビだらけのママチャリに小生を乗せ,
思いっきりつかんどりや
と, 意識朦朧となっている僕に言いつつ,
沖田先生のもとへ爆走したのは覚えています
そして, 無事振り落とされずに到着し
パジャマ姿のまま出てきた先生が, 小生を見るなり
あ~,白いなあ
と言いつつ,
診療台に横たわる体の触診を始めました
そして, およそ30秒ほどで
う~ん, これはチュウスイエンや,
手術せなあかんわ
と言って,
大きな市中病院へ搬送する手続きをして下さいました
チュウスイエン?
なにそれ?
遠のく意識の中
親と先生が色々話し合っていたことだけは
覚えています
そして翌日朝10時から,
小生は手術を受けることになりました
このお話しはコンパクトにまとめようと思ったのですが
想定外にさらに長くなってしまいそうなので
続きは次回のこのシリーズで
乞う御期待!