tsuputon's blog

英語の名言をベースに, 哲学から医学・薬学に至る雑学を, ゆるまじめにご紹介していきます

英語で名言を:仏様の手足となって、ただ転げ回っているのです。(棟方志功)

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                                                 May.26.2018

 

 

棟方志功は,

1903年青森県生まれの板画家です

 

一般には「版画家」と呼ばれますが,

ご本人は「板画家」と自称されていました

 

1956年にヴェネツィアビエンナーレ

『湧然する女者達々』を出品,

日本人初の国際版画大賞を受賞されました

 

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志功の制作風景は,

のみが目に刺さるのではないかと

ハラハラさせるほどのもので,

うなりながら彫られるその迫力たるや,

小学生の頃一度見ました時から

小生には忘れられないものです

 

よろしければ,

こちらの,特に3分47秒以降をご覧ください

youtu.be

 

本日はこの,世界的板画家,

棟方志功の名言を

いくつか御紹介したいと思います

(英文拙訳)

棟方志功 - Wikipedia参照

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まずは,板画とは…

 

驚いても オドロキイレナイ

喜んでも ヨロコビキレナイ

悲しんでも カナシミキレナイ

愛しても アイシキレナイ

それが板画です。

Surprised, I can’t be surprised very much.

Pleased, I can’t be pleased very much.

Feeling sad, I can’t feel so sad.

Loving, I can’t love very much.

That’s a woodcut.

 

「喜怒哀楽」全ての感情を超越した何か,

それが板画である,と志功は言います

 

寝ても覚めても、

夢中に板画のことばかりでいっぱいでした。

Sleeping or being awake,

I was absorbed in and filled with woodcuts all.

 

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志功の駆り立てられるかのような衝動は,

世俗的価値を超えた

純粋価値の創造=永遠の遊びへと向かってきました

 

金になる、ならないを超えた、

仕業位性の高い日本の版画を

つくらなければならないと思いました。

I thought I would have to

make Japanese woodcuts of high expertise,

beyond the matter of money.

 

そして,いつしかその思いは,

日本発の世界に通じるアートへの情熱と

昇華していきました

 

日本から生れた仕事がしたい。

わたくしは、

わたくしで始まる世界を持ちたいものだと、

生意気に考えました。

I wanted to do a job originated in Japan.

I did want to have the world of my origin,

conceitedly.

 

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志功の板画のモチーフに,

女性は欠かせないものでした

女人は観音様だとの無垢な想いが,

志功を突き動かしていたのです

 

女人の眉間に丸い星を入れると、

それはホトケ様になる。

Putting a round star between the eyebrows of a lady,

she will be a Buddha.

 

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志功の美学は,

女性崇拝と仏教思想に基づいた

祈りを源としていました

 

自分というものは、なんという無力なものか。

何でもないほどの小さいものだという在り方、

自分から物が生まれたほど小さいものはない。

How helpless I am!

I myself, the being as little as anything,

produces something, but it’s so little.

 

自らが作品を作っているのではなく,

自分の体を使って作らせていただいているとする,

積極的意味合いの「他力本願」を

文字通り実践されていました

 

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いざ彫っている時の心境は…

 

私が彫っているのではありません。

仏様の手足となって、ただ転げ回っているのです。

I’m not carving it;

I’m just rolling, being the limbs of Buddha.

 

これは,

運慶の「木の中に埋まっている仏様を救い出す」

という彫刻美学に酷似しています

自分が仏像を作るのではない

もともと仏様が木に宿っていて,

自分はその周りの余計な木を外して,

仏様を出して差し上げるだけだ…

 

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また,「ただ転げ回っている」という表現は,

鈴木大拙の悟りに向かう覚悟を表したことば,

「空に踊り込む」を想起させます

 

この観音様はノミがつくってくれた。

自分は何も覚えていない。

This Bodhisattva of Compassion was made

by my chisel; I don’t remember anything.

 

tsuputon7.hatenablog.com

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この姿勢を,

ことばを替えて志功は次のように表現しています

 

在るものをまっ裸にしたものこそ、ぼくの世界。

My world is just something that I took off the clothes.

 

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彼を生涯,板画に没頭させた想いの根源は,

少年時代,友人たちにこう宣言していたことの結果でした

 

ワだばゴッホになる。

As for me, I’ll surely be a Gogh.

 

それでは,このへんで

ごきげんよう

 

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