May.26.2018
棟方志功は,
一般には「版画家」と呼ばれますが,
ご本人は「板画家」と自称されていました
『湧然する女者達々』を出品,
日本人初の国際版画大賞を受賞されました
志功の制作風景は,
のみが目に刺さるのではないかと
ハラハラさせるほどのもので,
うなりながら彫られるその迫力たるや,
小学生の頃一度見ました時から
小生には忘れられないものです
よろしければ,
こちらの,特に3分47秒以降をご覧ください
本日はこの,世界的板画家,
棟方志功の名言を
いくつか御紹介したいと思います
(英文拙訳)
まずは,板画とは…
驚いても オドロキイレナイ
喜んでも ヨロコビキレナイ
悲しんでも カナシミキレナイ
愛しても アイシキレナイ
それが板画です。
Surprised, I can’t be surprised very much.
Pleased, I can’t be pleased very much.
Feeling sad, I can’t feel so sad.
Loving, I can’t love very much.
That’s a woodcut.
「喜怒哀楽」全ての感情を超越した何か,
それが板画である,と志功は言います
寝ても覚めても、
夢中に板画のことばかりでいっぱいでした。
Sleeping or being awake,
I was absorbed in and filled with woodcuts all.
志功の駆り立てられるかのような衝動は,
世俗的価値を超えた
純粋価値の創造=永遠の遊びへと向かってきました
金になる、ならないを超えた、
仕業位性の高い日本の版画を
つくらなければならないと思いました。
I thought I would have to
make Japanese woodcuts of high expertise,
beyond the matter of money.
そして,いつしかその思いは,
日本発の世界に通じるアートへの情熱と
昇華していきました
日本から生れた仕事がしたい。
わたくしは、
わたくしで始まる世界を持ちたいものだと、
生意気に考えました。
I wanted to do a job originated in Japan.
I did want to have the world of my origin,
conceitedly.
志功の板画のモチーフに,
女性は欠かせないものでした
女人は観音様だとの無垢な想いが,
志功を突き動かしていたのです
女人の眉間に丸い星を入れると、
それはホトケ様になる。
Putting a round star between the eyebrows of a lady,
she will be a Buddha.
志功の美学は,
女性崇拝と仏教思想に基づいた
祈りを源としていました
自分というものは、なんという無力なものか。
何でもないほどの小さいものだという在り方、
自分から物が生まれたほど小さいものはない。
How helpless I am!
I myself, the being as little as anything,
produces something, but it’s so little.
自らが作品を作っているのではなく,
自分の体を使って作らせていただいているとする,
積極的意味合いの「他力本願」を
文字通り実践されていました
いざ彫っている時の心境は…
私が彫っているのではありません。
仏様の手足となって、ただ転げ回っているのです。
I’m not carving it;
I’m just rolling, being the limbs of Buddha.
これは,
運慶の「木の中に埋まっている仏様を救い出す」
という彫刻美学に酷似しています
自分が仏像を作るのではない
もともと仏様が木に宿っていて,
自分はその周りの余計な木を外して,
仏様を出して差し上げるだけだ…
また,「ただ転げ回っている」という表現は,
鈴木大拙の悟りに向かう覚悟を表したことば,
「空に踊り込む」を想起させます
この観音様はノミがつくってくれた。
自分は何も覚えていない。
This Bodhisattva of Compassion was made
by my chisel; I don’t remember anything.
この姿勢を,
ことばを替えて志功は次のように表現しています
在るものをまっ裸にしたものこそ、ぼくの世界。
My world is just something that I took off the clothes.
彼を生涯,板画に没頭させた想いの根源は,
少年時代,友人たちにこう宣言していたことの結果でした
ワだばゴッホになる。
As for me, I’ll surely be a Gogh.
それでは,このへんで