Nov.23.2017
人体の全細胞は
およそ7年半ほどですべて新しくなると言います
髪の毛や爪だけでなく
筋肉, 骨, 脳細胞のニューロンに至るまで
この医学的事実を初めて知った時
宮澤賢治の次の一節を想い浮かべました
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
まず「わたくし」=現象, つまり
「わたくし」=「もの」ではなく,
「わたくし」=「こと」と
賢治は捕えていたのです
約100年前に賢治は「もの」としての「わたくし」に
鮮烈なアンチテーゼ=正反対を
提示していたことになります
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
この中では「いかにもたしかに」というフレーズが
ポイントと思われます
ほんとうは「明滅」を繰り返し続けている
実体なきかそけき存在=「こと」であるにも関わらず,
いかにも「もの」であるかのようにしている
これは賢治流の来るべき資本主義社会,
「わたくし」でさえ「もの」にならざるをえない
差し迫る未来に対する「漠然とした不安」の表出
だったのではないでしょうか
龍之介に『歯車』のイリュージョンを見せた
あの不安と同類の・・・
「こと」という液体である「わたくし」が
「もの」という固体に凝固させられていく
私たちの身体の70%以上が水で出来ています
他の身体組織も10年もしないうちに何もかも全部
新しくなるということも考え合わせると
私たちは固体ではなく液体です
生涯一つの体を持ち続けているのではなく
明滅し, 生成流転する数兆個の細胞群の連動です
「わたくしという現象」は
すべてがつねに変化しています
そうした現象の一端に意識が宿り心が生まれ
その個体同士が出会い喜怒哀楽し
社会という共同幻想に参加していきます
その現象そのものである「わたくし」という奇跡を
怠惰でつまらない日常的存在だと
思い・思われ,
自ら望んで凝固し続け
ゆるゆるとろとろの液体としての自身を忘れ
かちかちぎすぎすの固体としての時間泥棒になっていく
これでは人が集まれば対立があって当たり前,
固体と固体がぶつかり合うのですから
英語の「対立」=conflict を分解しますと
con + flict で,「互いに」+「たたく」です
お互い液体同士だったり
せめて―方が液体なのなら
対立なんて避けられるのに
せめて「心の環境破壊」を阻止していくため
固体を解かすのに十分な熱量を伴った
液体でありたい
心も身体も
ゆるやかでしなやかな液体ばかりのあつまり,
そこにしか平和など望みようもありません
固体同士だといさかいが絶えないけれど
固体に時間を加えて
3D→4Dの目線でいられたら
無用な対立など, 一気に解消するのに
およそ350年前に,
すでにパスカルはお見通しでした
Time heals griefs and quarrels,
for we change
and are no longer the same persons.
Neither the offender nor the offended
are any more themselves.
時は悲しみと口論の傷を癒す
というのも, 私たちは変わり
もはや同じ人間ではなくなるからだ
怒らせた人も怒らせられた人も
もうその人自身ではない
コンピュータの原型・パスカリーヌの生みの親にして
未だに
現代フランス語の御手本とされる程の文才もあった
彼からすると,
固体的思考は科学レベルで利用する手段に過ぎず,
液体的思考こそが平和への鍵だということは
明白だったのでしょう
人の心の機微を無視して
自説をとうとうと語る数学者には
「幾何学の精神」はあっても「繊細の精神」はないと
実に優雅に, しかし, 鋭く言い放った彼です
日本のパスカルだと僭越ながら思っております賢治に
人の生まれついてのありやうは
固体じやなく液体でせう
と, Shinzo &Donald に突っ込みを入れて欲しい...
いや, 賢治なら
「わたくし」=「ひとつの青い照明」ですから
「光」でした・・・
もうこれは5 Dです…
それでは, このへんで