PAUL KLEE:Still Life
Oct.25.2017
読書の秋と言いますが,
この言葉に出会うたび, 子どもの頃から
不思議な思いを持ってきました
なぜ秋だけなんだろう?
やはり外の空気が今週のように良くなってくると
公園のベンチやカフェなどで
読書するというのが絵になるからでしょうか
それともどっかの本屋さんが作った
キャッチフレーズでしょうか?
キャッチフレーズといいますと
かつて, とある本で読んで衝撃を受けたのが
うなぎは真冬が1番おいしい
というものでした
寒さで脂がのるらしいです
土用の丑の日と言うのは
江戸時代にあの平賀源内が
知り合いの鰻屋さんが
夏場に鰻が売れないと源内に相談しに来た時
じゃぁ鰻の日でも作ればいいじゃないか
と言って作ったのが土用の丑の日ということで
端的にキャッチフレーズ力のみで現代の私たちも
一大イベントとして受け入れている
源内発のミーム(文化的遺伝子)なのです
文化とか慣習とかって不思議ですね…
PAUL KLEE:Portrait of a Yellow Man
ところで読書の話しに戻しますと,
小生は読書は幼少期から大好きなのですが
なぜだか小説と名づくものは
ほぼ読んだ記憶がありません
漱石ですらろくに読んでない始末です
そうした中でも
唯一かなり読んだと自負して言える小説は
小中高時代をかけて新潮文庫版はほぼ読破した
芥川龍之介です
小生が芥川にひかれたのは
文章のうまさとか
鋭い心理描写だとか
仏教を青少年にもわかるように苦心したとか
言われる教養的な視点では全くありません
端的に写真を見て超かっこいいと
憧れただけです
あの当時にこの髪型ですから↓
そして写真に惚れ込んだあと
文庫版を少しずつ買っては慣れない小説を読み始めました
そういえば
小学校5年生の時に夏休みの課題で,
『蜘蛛の糸』を読んで絵を描いてくる
というものがありました
その時小生が描いた絵は
画面の下から9割分が地獄と
その地獄の上の蜘蛛の糸が垂れている空間で
かんだたが途中まで登っていて
下からよじ登ってくる罪人たちをまさしく
蹴落とそうとして糸がちょっとだけ切れた瞬間
を描きました
そして残りの上の1割分だけに極楽浄土を描きました
阿弥陀様が小鳥のさえずりとともに
蓮の花に囲まれて穏やかに微笑んでおられる光景です
おお, 地獄が画面いっぱいでいいねえ~!
と, 担任だったおばさま先生に言われて,
極楽じゃないんだ, と沈んだ記憶があります
自分でも水彩画だったのですが
地獄部分の背景を黒と赤でミックスしたドロドロとした
灼熱地獄を描いていて, 気分が悪くなったの覚えています
その分
極楽浄土はまっさらな絵の具を使い
ピンク緑黄色ベースで, ぼんやりと「極めて楽しく」
描けたことを覚えています
モネ『睡蓮』
その芥川龍之介の名言が
こちらです
運命は偶然よりも必然である。
「運命は性格の中にある」
という言葉はけっして
なおざりに生まれたものではない。
「運命は性格の中にある」という言葉を
芥川どこかからか引用しています
よく宿命は変えられないけれど
運命は変えられる
という言葉を耳にしたことがありますが
宿命が生まれついたもので
運命は自分の心がけ次第習慣次第で
方向付けられると言う意味だと
小生は解釈しています
確かに性格というのは万人異なるわけですが
その性格を持って普段の生活をし
社会に出て他の人々の性格と交流し
学習し仕事をし結婚をし家庭を作り
人生を送っていくわけで
ポジティブな人
ネガティブな人
バランスの良い人
それぞれ異なった運命になって
当然と言えば当然です
がありますが,
その中にトリ・グナ(3つの質)という
性格分類概念があります
その3つは次の通りです
1 ラジャス(激質)
2 タマス・グナ(暗質)
3 サットヴァ・グナ(純質)
端的に言うと
1 は激しく
2 はおとなしく
3 はバランスが取れている
というタイプ分けです
単純に激しいのとおとなしいの
といった二元論ではなく
この真ん中のバランスのとれた性格も立ててあるのが
とても興味深いです
身の回りでそういう人を探そうとしても
なかなか見つかるものではありません
面白いぐらいに人の性格を
自分は二元論で見ているんだなと
思います
(ちなみにサットヴァ・グナは
聖者の気質です)
インドの方々の知恵は
数千年も前からこういうことを言葉にする位
奥深いものだったわけですね
それではこの辺で